司法領域における解離と他者性
本章では司法の領域においてDID(解離性同一性障害)の「責任能力」がどのように議論され、DIDを有する方々がどのように処遇されてきたかについて論じたい。
私はこれまでこの問題にほとんど言及してこなかった。ただDIDを持つ原告の方の鑑定、ないしは意見書の作成に携わったことは何度もあり、司法の目を通してDIDの問題を考える機会をかなり多く持ってきた。そしてDIDの方が自分の行動にどれだけの責任を取るべきかという問題は、本書のテーマである交代人格と他者性という問題にとって極めて重要な意味を持つことを、私は最近になり自覚するようになった。DIDを有する人が交代人格の状態である違法行為を行った場合、その人は通常の犯罪行為を行った人と同様に扱われるべきだろうか? それとも罪を問われるべきでないのか? この問題はDIDにおいていわゆる「責任能力」の問題をどう考えるか、という事に尽きるのである。
責任能力とは何か?
ここで本テーマについての議論に入る前に、責任能力という問題について簡単に触れたい。この概念ないしはタームは本章でこれから何度も出てくるからである。ただしこの用語はあくまでも法律用語であり、精神医学の用語ではない。しかも刑法ではその説明をしていないのである。それにもかかわらずDIDの法的責任だけでなく道義的な責任などについて考える際に極めて重要なのだ。当事者が責任能力を有するかどうかによって、収監されるか、執行猶予つきになるか、無罪になるかが大きく変わってくるのである。