2022年3月26日土曜日

他者性 その49

 ともかく私がここで言おうとしているのは、解離性障害とは自分の脳の中にいくつかの他者が成立している状態であるという事です。そしてそれは統合失調症における他者性の病理とはかなり異なります。統合失調により聞こえてくる幻聴は、それにより自己が侵食されるような状態、いわゆる深刻な自我障害に伴って二次的に現れてくる他者からのメッセージです。それは超越的であり、実際の姿を見せません。その他者は障害された自我が生んだ幻の存在としての他者です。ところが解離性障害においては他者は別の主体として、おそらく異なる神経ネットワークを伴って成立しています。そしてそれぞれの神経ネットワークは触覚、視覚、運動野、感覚野などを含みこんだネットワークであり、それぞれの人格が運動が得意だったり音痴だったり、好むタバコの銘柄が異なったり、酒好きだったり下戸だったりするのです。

ちなみに私はどうしてDIDが一世紀以上にわたって誤解され続けて来たかについて、この各人格が相互に他者であるという事の理解が難しいからだと思います。もちろん精神医学がこの100年間進歩していないというわけではありません。しかし多重人格の存在に精神医学者の注意が向けられるようになって長い年月が経っても、精神科医の一部はそれぞれの人間には心が一つしかないという考えを捨てられないことに変わりはないのです。もちろん自分が一つの心を持つというのは確かなことです。しかしもう一つ、あるいはそれ以上の心を持った別の主観が同じ脳に存在するという事を受け入れることが難しいのです。精神分析の世界でもS.Freudは以来その伝統がありました。しかしフロイトと同時代人のS.Ferencziはすでに1930年代、すなわち90年前に、解離において子供は子供なのだ、と述べたわけです。すなわちこの多重心の考えを受け入れる人はすでにいたのです。しかしその声は尊重されることなく、心は一つであるという伝統を引き継いでいるという事になります(この事情については詳しくは○○章で論じることにします)

ちなみにこの多重人格の存在を信じない、という精神科医の存在は、例えるならば地動説が一般的に理解されてからも、「太陽の周りを地球が回っているなんて、そんなことはあり得ない!」という人が一定の割合で存在するようなものです。これほど奇妙なことはあるだろうか、とお考えでしょう。しかし心の問題になると、人はいつの時代にもこの種の極論を信じる傾向にあります。「うつ病という存在を私は信じていません。それは結局はその人の持っている甘えなのです」という人は結構いらっしゃるのです。