でもDIDの患者さんに出会った精神科医や心理士さんが同じような反応をするかと言えばそうではありません。
この問題については第○○章で詳しく論じていますが、そこでは通常のAさんではなく交代人格Bさんが登場した時の臨床家の反応を次の4つに分けています。
- その状況をどのように扱っていいかわからず当惑する。
- 患者が演技しているに違いない、と考える。
- 特別な対応をせず、そのまま気が付かないようにふるまう。
- 主人格とは異なる人格として遇する。
しかしつい最近私があるクライエントさんから聞いた話は、3.のバリエーションともいえるものでした。その方は一時的に入院治療が必要だったのですが、入院先の担当の先生に、次のように言われたそうです。
「私は解離性障害の経験は十分ありますが、私の方針では、交代人格の方を、あくまでその患者さん当人として扱うことになります。」
つまりBさんはスルーされるどころか、その存在をきっぱり否定されてしまったわけです。もちろん患者さんによって随分事情は異なるでしょうが、この一言はその患者さんを精神的に打ちのめすに匹敵するような力を持っている可能性があります。百歩譲ってもこの言葉はBさんにとっては、そしておそらくAさんにとっても全然共感的でないと思います。私がこのことをなぜ強調するかと言えば、Bの人格さんで表れて「あなたはあくまでもAさんですよ」という言葉を掛けられて「この先生に分かってもらえた」と感じる解離の患者さんはほぼ皆無だろうからです。大抵は失望や怒りを感じるでしょうし、これまでほかの先生から言われてきたことをここでも繰り返されただけだ、もう私は二度と出てこないようにしよう、と思うのが普通の反応でしょう。あるいはせいぜいその臨床家の言葉をこちらの方からスルーするかでしょう。
もちろんその臨床家が「私はDIDを信じないから、BさんをあくまでもAさんとして扱おう」と思っているとしたら、それもその臨床家の考えだから自由でしょう。しかしそれを実際のBさんに伝えることは別です。というのもDIDにおいては別人格さんが自分は主人格Aとは異なる存在である、と体験しているということは、DIDという状態の本質であるとすらいえるからです。もしBが、私はAの一部だと感じるとしたら、おそらくBさんが自分の存在を見誤っているか、Aさんと混線状態にあるかです。(この人格の間の混線状態とは、臨床上しばしば聞かれることであり、患者さんは自分がAさんの状態かBさんの状態かわからなくなることです。これが起きることで解離の臨床は複雑になっていくわけですが、それを聞いた治療者が「ホラね、やはり人格が分かれているという事はあり得ないんだ」と思うようになってしまう可能性があり、それが厄介なところです。