2022年3月20日日曜日

他者性 その44 「転換性障害」の一部推敲

 転換性障害の症状として私が日常接するもの中には、その症状が日常生活に影響を与えるようなものもある。その意味で比較的よく目にするのは、失立や歩行困難である。しかしそれは歩行に大きく関係する大腿四頭筋が特に転換症状に関与しているというわけではないのであろう。筋力が落ちた場合に直ちに行動に影響を与えるのが大腿部の筋肉であり、その意味では日常的な機能に大きな影響を与えるために症状として問題になりやすいのであろう。患者さんの中にはこの症状の為にセッション後に椅子から立ち上がれなかったり、来院する途中で駅で歩けなくなり、駅員の助けを借りながら来院したりすることもある。幸い失立の時間は通常は限られるために、社会生活上大きな支障をきたしていない方が多いようであるが、そのために車いすを用いる方もいる。

同様のことは声帯に関連する筋肉に生じる脱力についてもいえる。この部分の失調は失声という症状となってその人の社会機能を即座に奪いかねない。だからこそ症状として特に目立つ傾向にあるといえるだろう。

しかし時々襲ってくる突然の脱力発作や失声はいったい何を意味するのか。患者さんは自分で足の力を抜くという事はしていない。自然と力が抜け、それをどうすることもできないのだ。ちょうど長い時間正座をした私たちが、いざ立とうとしてもしびれで一切立つことが出来ないという現象に似ている。つまり足が突然自らのコントロールを外れ、患者さん自身はそれに対して受け身的なのだ。

このような現象を目の当たりにして、私は転換症状について従来とは異なる考えを持つようになっている。

既定路線のテキストブック的な定義によれば、解離性障害とは「アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体的運動の統制、行動のうちどれかについて、正常な統合が不随意的に破綻したり断絶したりすることを特徴とする。」(ICD-11,World Health Organization)となる。このうち身体感覚と運動に関する記載が転換性障害という事になる。

しかしこの定義はわかりにくい。そもそも転換症状の「転換」という用語がわかりにくいのだ。この用語はFreud に由来し、「自我が相いれない表象を防衛として抑圧する際、・・・その相いれない表象を無害化するため、その表象の興奮量全体を身体的なものへと移し替えることを転換Konversion と呼んだ」(光文堂 精神医学事典)とされる。つまり転換症状には人が受け入れられない心的内容を抑圧することにより生じるという前提がある。しかし現在の精神医学では、このように身体症状に心的な意味付けをすることに正当性を与えない傾向にある。

 ちなみにこのような考え方は半世紀ほど前とかなり異なっていることがわかる。1952年のDSM-Ⅰの記載と比べてみよう。

不安を呼び起こすような衝動は(漠然と、あるいは恐怖症のように置き換えられる形で)意識的に体験されるのではなく、通常は意図的にコントロールできるような臓器や体の一部において、機能的な症状に「転換 convert」されて現れる。症状は意識的に(と感じられる)不安を軽減する役目を果たし、通常は背景にある心的な葛藤にとっての象徴となっている。それらの反応は通常は患者の当座のニードを満たし、すなわち多少なりとも明白な「二次利得」に関連していることになる。それは通常は精神生理学的な自律神経障害と内臓的 visceral 障害とは区別される。「転換反応」という用語は、従来の転換性ヒステリーと同義語である。