本日は私が京都大学の退官に際して「臨床における他者との出会いについて」というテーマでお話します。ただし私の中ではこの講演の内容は、私が今年の秋に上梓するよう計画している「解離性障害における他者の問題(仮題)」の一つの章として位置づけられることになっています。
この他者性というテーマは実は私が最近よく考えているテーマですが、発端は解離性障害における他者性という問題でした。そこでまず「解離における他者」という事についてお話したいと思います。それから私たちの一般臨床における他者の問題というテーマに広げていきたいと思います。ただしこの最初の部分は、本書の「最初の章」である「他者としての交代人格と出会う事」で述べたことに一部重複しますので、その問題はごく簡単に繰り返すだけにしたいと思います。
私のもとにはいわゆる解離性障害、その中でもDID(解離性同一性障害)の方が多くいらっしゃいます。ある患者さんAさんのことを思い浮かべましょう。普通は面接室にAさんとしていらっしゃいますが、ある時にBさんでいらっしゃるとします。つまりAさんは主人格で、Bさんは副人格ないしは交代人格という事になります。
ところでよく誤解されるのは、主人格Aさんとは、自分を戸籍名、つまり本名で名乗る人だという考え方です。親からAという名前を貰ったその人は、もちろん小さい頃からAちゃんと呼ばれ、「自分はAである」というアイデンティティの感覚を最初は持つかもしれません。しかし小さい頃にトラウマを体験してAさんという人格がそのままではいられずに、いわば冬眠してしまい、その代わりαという人格が出現して、Aさんの身代わりになって、Aさんとして暮らしているかもしれません。すると主人格はαさんという事になります。しかしここでは話が複雑にならないように、戸籍名AさんをアイデンティティとするAさんが主人格であると仮定しましょう。
つまりその反応は1,2の二つに分けられます。
1はBさんをあくまでもAさんとして扱う場合、そして2はBさんをBさんそのものとして扱う場合があるという事です。