2022年3月11日金曜日

他者性 その38 責任能力の部分、膨らませた

 責任能力とは何か?

ここでこの問題について簡単に触れたい。というのもこの概念ないしはタームは本章では何度も出てくるからである。ただしこの「責任能力」はあくまでも法律用語であり、精神医学の用語ではない。しかしDIDの法的責任などについて考える際に重要になってくる。そして何しろそれにより患者さんが収監されるか、執行猶予つきになるか、無罪になるかが大きく変わってくるからである。
 日本語版WIKIPEDIAの「責任能力」の項目には以下のように書いてある。

「責任能力とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう。」

これが正式な表現とするなら、より簡便な表現として法律関係の書類などで用いられているのは、いわゆる「物事の善悪の弁識・制御の能力」という表現だ。例えば

 心神喪失:該当する状況事理弁識能力・行動制御能力のいずれかが『失われた』状態

心神耗弱:該当する状況事理弁識能力・行動制御能力のいずれかが『著しく減退』した状態。

うんと短くすれば「状況事理の弁識・制御能力」これで行こう!

実際の例を取って考えよう。酒に酔ってタクシーの運転手に暴力を振るった男性の場合(そのようなニュースを割と最近見たことがある)、その際は「事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力」を失ったとは言えないだろうか? まず一般常識的には間違いなく、それは認められないだろう。「勝手に酒に酔ったんだからその人の責任だ」で終わりである。では次の例はどうだろう。その男性が悪意ある他者に騙されてソフトドリンクだとだといわれて実際はアルコール入りの飲料を飲まされた場合は? うーん、一挙に難しくなる。(実は私は心の中では、酩酊した人の一部は、ほぼ間違いなく事理の弁識・制御能力を失う。普段は極めて理性的な同僚が二次会などで酔っ払って豹変する姿を見たりして思うことだ)。しかし世間は必ず言う。「好きで飲んだんでしょ?そうなることが分かっていたはずなのに。」そう言われると私は一言も反論できなくなってしまうだろう。

さてさらに判断が難しい例。医師に処方されたロヒプノールを指示通り飲んだ人同じ行為に及んだらどうなのだろうか? ロヒプノールはマイナートランキライザー(精神安定剤)で、処方された量がその人にとって多すぎた場合は飲酒に似た酩酊状態になる。だから同じような行為に至る場合も十分あり得るのだ。そして後者の場合は責任能力は減弱していると認められるのだろうか? あるいは精神科で「間歇性爆発性障害」、ないしは衝動コントロール障害という病名があるが、それに罹患した人の場合は、物事の是非・善悪を弁別できても自分の行動をコントロールできないと見なされ、情状酌量の余地ありとなるのだろうか? ここで皆さんが考えていることと私の考えは一致しているはずだ。結局一般常識的に考えてその人に罪はないと思えるならば責任能力の低下を認める、という事になろう。(本題から外れるが、江戸時代にはすでに「乱心」や未成年の場合の減刑が詠われていたらしい。この人は罰することが出来ないな、という感じ方は時代を超えているという事だ)。

ところで心神喪失や心神耗弱の例としては、「精神障害や知的障害・発達障害などの病的疾患、麻薬・覚せい剤・シンナーなどの使用によるもの、飲酒による酩酊などが挙げられる。」とあるがもちろん、「故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合、刑法第○○条は適用されない」とある。だからアルコールによる酩酊はアウト、という事だ。さてここで悩ましい言葉が出て来ている。「精神障害や知的障害、発達障害」とある。そしておそらくここから先は闇なわけだ。ただし以下の文章を読んでいただきたい(日本語版WIKIPEDIA「責任能力」)
 被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題であり、専門家の提出した鑑定書に裁判所は拘束されない(最決昭和58913日)。しかしながら、生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば、専門家たる精神科医の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきものである(最判平成20425日)。
被告人が犯行当時統合失調症にり患していたからといって、そのことだけで直ちに被告人が心神喪失の状態にあったとされるものではなく、その責任能力の有無・程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定すべきである(最決昭和5973日)。


 分かりやすく言えば、精神科医の意見はしっかり聞きなさい、という事だ。しかしこれまで書いたように、検察側、弁護側がそれぞれ別個に精神科医の意見を証拠として提出するから問題が複雑になるのである。

ともかくも精神医学用語でない責任能力は、実は司法精神医学ではほとんど中心的な概念と言っていいほどの重みをもつ。また精神疾患、例えば本書の場合は解離性障害を有する人がどれほど責任能力を認められるかは、実は流動的で今後も変わっていく可能性があり、一つの定説があるというわけではなさそうなのである。