2022年3月9日水曜日

他者性 その36 いわゆる転換性障害について

 転換性障害の症状として私が日常接するもの中には、その症状が日常生活に影響を与えるようなものもある。比較的よく目にするのは、失立や歩行困難である。だからと言って体の中でも歩行に大きく関係する大腿四頭筋が特に転換症状に関与しているというわけではない。筋力が落ちた場合に直ちに行動に影響を与えるのが大腿部の筋肉であり、その結果としてより目立つ失立の症状が現れるのであろう。患者さんの中にはこの症状の為にセッション後に椅子から立ち上がれなかったり、セッションに来る最中に駅で歩けなくなり人に助けてもらいながらタクシーで来院することなどもある。幸い失立の時間は通常は限られ、時々問題が生じる程度で何とか社会生活をこなしている方が多い。
 同様のことは声帯に関連する筋肉に生じる脱力についてもいえる。この部分の失調は失声という症状となってその人の社会機能を即座に奪いかねない。だからこそ症状として特に目立つ傾向にあるといえるだろう。
 しかし時々襲ってくる突然の脱力発作や失声はいったい何を意味するのか。患者さんは自分で足の力を抜くという事はない。自然と力が抜け、それをどうすることもできないのだ。ちょうど長い時間正座をした私たちが、いざ立とうと思ってもしびれで一切立つことが出来ないという現象に似ている。つまり足が突然自らのコントロールを外れるのだ。
このような現象を目の当たりにして、私は転換症状について従来とは異なる考えを持つようになっている。
 既定路線のテキストブック的な定義によれば、解離性障害とは「アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体的運動の統制、行動のうちどれかについて、正常な統合が不随意的に破綻したり断絶したりすることを特徴とする。」(ICD-11,World Health Organization)となる。このうち身体感覚と運動に関する記載が転換性障害という事になる。しかしそれでもわかりにくい。
 さらに転換症状の「転換」という用語もわかりにくい。この用語はFreud に由来し、「自我が相いれない表象を防衛として抑圧する際、・・・その相いれない表象を無害化するため、その表象の興奮量全体を身体的なものへと移し替えることを転換Konversion と呼んだ」(光文堂 精神医学事典)とされる。つまり転換症状には人が受け入れられない心的内容を抑圧することで生じるという前提がある。しかし現在の精神医学では、このように身体症状に心的な意味付けをすることに正当性を与えない傾向にある。

ちなみにこの問題について以前書いたことがあるので、記憶を手繰っていくと以下の内容が見つかった。2019年の5月に「『神経症』レベルにおける心因反応の概念の変遷」という依頼原稿を書いた。精神医学617(20197)ということだが、我ながらよく書いたものだ。
岡野(2019) 『神経症』レベルにおける心因反応の概念の変遷」精神医学617

その一部を再録するとこうなる。

転換性障害は通常は神経症圏の疾患として扱われるが、これには他の神経症にはない扱われ方がなされているのだ。同障害に関するDSM-Ⅰ記載を示そう。

不安を呼び起こすような衝動は(漠然と、あるいは恐怖症のように置き換えられる形で)意識的に体験されるのではなく、通常は意図的にコントロールできるような臓器や体の一部において、機能的な症状に「転換 convert」されて現れる。症状は意識的に(と感じられる)不安を軽減する役目を果たし、通常は背景にある心的な葛藤にとっての象徴となっている。それらの反応は通常は患者の当座のニードを満たし、すなわち多少なりとも明白な「二次利得」に関連していることになる。それは通常は精神生理学的な自律神経障害と内臓的 visceral 障害とは区別される。「転換反応」という用語は、従来の転換性ヒステリーと同義語である。

転換症状は現代では「機能性神経症状障害functional neurological symptom disorder」(DSM-5)と言い表されているように、失声、失立、麻痺、といったあたかも身体疾患の存在を疑わせるような症状が見られるものの、器質的な原因が見られないという病態をさす。すなわちその症状の出現は患者当人にとっても予想外で治療者にとっても当惑を感じさせるものであり、とても「了解可能」とは認められないことが多いからである。このこともあり、ICD-11では従来の転換という言葉は全面的に用いられなくなっている。