本章では司法の領域においてDID(解離性同一性障害)がどの様に議論され、扱われ、あるいは処遇されているかについて論じたい。私はこれまで司法において解離性障害、特にDIDがどの様に扱われてきたかについてほとんど言及してこなかった。しかし実はこの問題は交代人格を他者と見なすという私の本書のテーゼにとって極めて重要な意味を持つことを最近になり自覚するようになった。
DIDの関与するケースのプロトタイプ
司法領域において解離性障害が提示する問題は端的に言えば次のことである。
別人格の状態において行われた行為について、主人格や当該の別人格はどれほどの責任を負うべきであろうか? さらには「元の人格」はどうか?
ここで主人格、別人格という呼び方とは別に「元の人格」という呼び方がいきなり出てきたことに読者の皆さんは当惑するかもしれない。解離性障害においてこれ以上新たなタームが必要なのだろうか、とお考えであろう。私がここで「元の人格」としては、例えば戸籍名がAさんだった場合、それを担っている人という意味で呼んでいる。すなわちAさんのマイナンバーカードや保険証や運転免許の氏名欄に記載されている名前だ。この「元の人格」Aさんは、人に「Aさん」と呼ばれれば自然と「はい」と答えるだろう。たまたま芸名やペンネームを使っているとしても、本名Aを自分の本当の名前と考えるはずだ。そして司法の場でも、被告や原告の立場になった人の戸籍名Aさんをその人と同定するだろう。その人が証言した内容は「Aさんの証言内容」として記録される筈だ。この原則が揺るがされると、司法の仕組みそのものが意味を失いかねない。ただし解離性障害が絡んだ場合、この司法の仕組み自体の意味が問われかねない場合もあるのだ。