そこで他者とは何か、という事に話を戻したいと思います。
それは自分でないもの、という事でしか定義できないものです。少し大きな話になりますが、生命体にとって自他を分けることは決定的に重要です。赤ちゃんはお母さんのオッパイを吸っていることを頭で想像しても、それが現実に存在する他者である母親からの授乳と区別が出来ないなら、想像しただけで満足してしまい、そのうち飢えて死んでしまうかもしれません。あるいは自分以外の何物かに接近されたり侵入されたりした場合にそれを警戒したり撃退しなくてはなりません。そこで私たちは自分由来のものを識別する能力を身に着けています。するとそれ以外のものは皆他者からの由来という事になります。この自他の区別は思いのほか込み入った手続きを必要とします。例えば私が自分の肩を触れるとします。脳では「私の手が肩にこれから触れるぞ」という前触れの感覚と、「肩が手により触れられるぞ」という前触れの感覚を予知しています。だからこれが自作自演だという事がわかるのです。これは確か小脳においてこれは自分の行動によるものだ、というタグ付けがなされることで自分は知らない人に急に肩を触られたという感覚を得なくて済むのです。このことは例えば免疫学についても言え、私たちは異物に対しては抗原抗体反応を起こしますが、自分の体の組織に対してはそれを異物として攻撃することはありません。しかしそれは決して自然にそうなっているわけではなく、複雑な免疫機構が働き、自分の体を異物として反応するようなリンパ球を片っ端から殺すことでやっと成立しているようなものです。これがいわゆる「免疫学的寛容性」と呼ばれる仕組みです。