2022年2月22日火曜日

他者性の問題 その24

責任能力とは?
 ここでこの問題に興味を持った。責任能力とは何か。このタームは精神医学のものではないから私が専門的な知識を持たないからといって恥じる必要はないが、DIDの問題を考える上でどうしても考えるべきテーマである。何しろそれにより患者さんが収監されるか、執行猶予つきになるか、無罪になるかが大きく変わってくるからである。(それに先を読んでいただくと、実は精神医学との関係がオオアリという事になるのだ。)
WIKI様(「責任能力」の項)にはこのように書いてある。「責任能力とは、一般的に、自らの行った行為について責任を負うことのできる能力をいう。刑法においては、事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力をいう。また、民法では、不法行為上の責任を判断しうる能力をいう。」
そこで皆さんは問うだろう(実は詳しく調べる前に、私自身が考えていることである)。酒に酔ってタクシーの運転手に暴力を振るった人の場合(そのようなニュースを割と最近見たことがある)、その際は「事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力」を失ったとは言えないだろうか? まず間違いなく、それは認められないだろう。「勝手に酒に酔ったんだからその人の責任だ」で終わりである。では医師に処方されたロヒプノールを指示通り飲んだ人同じ行為に及んだらどうなのだろうか? ロヒプノールはマイナートランキライザー(精神安定剤)で、処方された量がその人にとって多すぎた場合は飲酒に似た酩酊状態になる。だから同じような行為に至る場合も十分あり得るのだ。そして後者の場合は責任能力は減弱していると認められるのだろうか? あるいは精神科で間歇性爆発性障害、ないしは衝動コントロール障害という病名があるが、それに罹患した人の場合は、物事の是非・善悪を弁別できても自分の行動をコントロールできないと見なされ、情状酌量の余地ありとなるのだろうか? ここで皆さんが考えていることと私の考えは一致しているはずだ。常識的に考えてその人に罪はないと思えるならば責任能力の低下を認める、という事になろう。(本題から外れるが、WIKI様によれば、江戸時代にはすでに「乱心」や未成年の場合の減刑が詠われていたらしい。この人は罰することが出来ないな、という感じ方は時代を超えているという事だ)。
 心神喪失や心神耗弱の例としては、「精神障害や知的障害・発達障害などの病的疾患、麻薬・覚せい剤・シンナーなどの使用によるもの、飲酒による酩酊などが挙げられる。」とあるがもちろん、「故意に心神喪失・心神耗弱に陥った場合、刑法第○○条適用されない」とある。だからアルコールによる酩酊はアウト、という事だ。さてここで悩ましい言葉が出て来ている。「精神障害や知的障害、発達障害」とある。そしておそらくここから先は闇なわけだ。ただし以下の文章を読んでいただきたい(日本語版WIKI様「責任能力」)
 被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所にゆだねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、上記法律判断との関係で究極的には裁判所の評価にゆだねられるべき問題であり、専門家の提出した鑑定書に裁判所は拘束されない(最決昭和58年9月13日)。しかしながら、生物学的要素である精神障害の有無及び程度並びにこれが心理学的要素に与えた影響の有無及び程度については、その診断が臨床精神医学の本分であることにかんがみれば、専門家たる精神科医の意見が鑑定等として証拠となっている場合には、鑑定人の公正さや能力に疑いが生じたり、鑑定の前提条件に問題があったりするなど、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定すべきものである(最判平成20年4月25日)。
被告人が犯行当時統合失調症にり患していたからといって、そのことだけで直ちに被告人が心神喪失の状態にあったとされるものではなく、その責任能力の有無・程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様等を総合して判定すべきである(最決昭和59年7月3日)。

 分かりやすく言えば、精神科医の意見はしっかり聞きなさい、という事だ。しかしこれまで書いたように、検察側、弁護側がそれぞれ別個に精神科医の意見を証拠として提出するから問題が複雑になるのである。