2022年2月18日金曜日

他者性の問題 その20

 て私達は他者から承認されたいのと同時に自分のことを他者として扱って欲しいと思うこともあるのだ。それは人に決めつけられたくないからである。皆さんの中で小さい頃母親から「あなたはピアノを習いたいんでしょ」と言われてピアノの教室に通った人がいるかも知れない。そしてそのような場合おそらく母親に言われると本当に自分がピアノを習いたいんだと思った方が多いのではないか。しかし中には「どうしてお母さんは私がピアノを習いたいて決めつけるんだろう?」「どうして私には私のやりたいことがあることをわかってくれないのだろう?」と思ったかも知れない。他者として扱われるとは、自分が独立して自主性を発揮した人間とに遇して欲しいということである。お母さんも私を一人の人間として扱ってほしい、という事なのだ。でも同時にわかって欲しいとも思う。例のジレンマ(承認をめぐるジレンマ)がここに生じるのだ。私たちは私たちの持つ我儘な性質なのかもしれない。私の望みはそのまま理解し、出来れば叶えて欲しい。しかし私が望んでいないことについては、自分の考えを押し付けずに、放っておいて欲しい。分かって欲しいが正確に分かって欲しい。間違って理解されるくらいなら放っておいて欲しい。そして物事を欲する自由を与えて欲しい。そのくせ望む以上に放っておかれると「なんて思いやりがない人だろう?」と言い出しかねない。「私が寂しい思いをしていることがわからないのだろうか?」書いていてだんだん情けなくなってくる。