相変わらず、他者についてグダグダ考えている。そもそも他者とは誰(何)か?それは自分でないものだ。私達は自分でないものを知るために、自分由来のものにはタグをつける。私たちが自分の肩に触れる時、肩に手が触れる時の肩の感覚と、手の感覚を予想してあらかじめタグをつけておくので、あ,これは自分由来だな、自作自演だな、とわかる.このことは免疫でも同じ。自分由来の細胞には「自分のもの」と名前がつけてあるから免疫細胞は自分を攻撃しない。この機能が失なわれると自己免疫疾患になる。自分の細胞を誤って攻撃し始めるのだ。そこで私達に自分由来のものに一生懸命タグを付けることで、他者がすぐにそれとわかるようにする。他者がなぜ重要かといえば、それは現実を知らせてくれるからであり、具体的には敵の存在を知らせてくれるのだ。それにより私たちは現実の敵から攻撃されたり、補食されたりすることを回避できるからだ。さて承認の話だ。自分は自分をほめるには十分でない。私の母親イメージに誉められても少しも嬉しくないのは、それが自作自演だ.更に実際の母親に誉められても嬉しくないのは、もう母親を他者と見れないからと言えよう。誉め言葉は見ず知らずの他者からのものでないと嬉しくない。見ず知らずだからその人からの刺激は新鮮なのだ。