(解離性障害と司法の話の続き)
すると何が起きるかと言えば、検事側に立った精神科医と弁護人側に立った精神科医が同じ患者さんを診察して、異なる意見書を提出し、そのどちらに信憑性があるかが裁判で争われることになる。読者の方は同じケースを前にして、どうして精神科医が異なる意見を戦わせることになるかがぴんと来ないかも知れない。「精神科医は医学者であり、客観的に診察することが出来る患者にそれほど学問的な論争が起きるような異なった意見が提出されるのであろうか」と疑問に思うかもしれない。しかしそもそも検事と弁護士は法律の専門家であっても真っ向から意見が対立することを考えれば、その様なことは精神医学界でもいくらでもあり得ることは想像されるであろう。そしてDIDの関わる犯罪については、だいたいパターンが決まっているようである。それは次のような対立構造として表される。
検事側の精神科医: 原告AはDIDに罹患していない、もしくは罹患していても軽症である、もしくは罹患していても交代人格は事件に関与していない。
弁護側の精神科医: 原告AはDIDに罹患していて、交代人格の状態で事件にかかわった。
読者はどうして検事側と弁護側でそのように決まったパターンの意見書が提出されるのか、と疑問に思うかもしれない。あるいは精神科医は検事側に雇われたならそのパターンの意見書を出し、弁護側に雇われたらそちらのパターンの意見書を書くのか? もちろんそんなことはない。事件に関して報告を受けた精神科医が独自に判断を行う。しかしどの精神科医が検事側の意見を言い、どの精神科医が違うか、という事はあらかじめその精神科医が同様のケースで提出した意見書から想像がつく。そして非常に分かりやすく言えば、解離を否認する立場の精神科医が検事側につき、肯定する立場が弁護側に着くという傾向にあるというのもある意味では当然かもしれない。その意味では本書に出てきた「解離否認症候群」の話は、司法の領域にもはっきりと表れることになる。