2022年2月5日土曜日

偽りの記憶 論文化 17

 また少し付け加えた

例えばある20代の男性は、(以下略)

このようなプロセスに主として関係しているのが、解離という現象である。解離を一言で説明するのは難しいが、あえて直感的な表現をすると、心がある特殊なモード(解離状態)になり、少なくともその間に起きたトラウマ的な出来事に関する記憶が、脳の中の普段は取り出す(想起する)ことが出来ないような場所に留められるのである。そしてそれはその出来事に関連した何らかのトリガーにより、あるいはその出来事の際の解離状態に戻った時に限り想起されるのだ。これと類似の現象は飲酒による酩酊状態、いわゆるブラックアウト現象としてなじみがある方も多いだろう。この解離状態は精緻化されて一つの人格状態にまで発展することがある。するとAさんという人格の時に体験した事柄は、Bさんという別の人格の時には思い出すことが出来ない、といった状態が生じることになる。
 ここで注意が必要なのは、この解離とこれまで述べた抑圧とは異なる現象であり、概念であるということだ。抑圧とは意志の力である事柄を考えまいとする心の働きとしてフロイトが100年前に提唱したものであるが、実験心理学によりそのような現象が存在するかの議論はいまだに分かれている。特に抑圧とは異なる抑制との混同については、前出のポーターとバートの研究などに示された通りである。
 これまで述べたとおり、解離という機序を介してトラウマ記憶が蘇るという現象は明白に存在するのだ。ただしここに複雑な事情がある。それは解離の機制により形成され、後に蘇ったと思われる記憶内容に関しても、それが現実の内容と照合出来なかったり、実際にありえないような内容であったりもすることもあり、本稿で示したようなサブリミナルな影響や感化の影響を受けた過誤記憶と見なすべきものが含まれるのである。

最後に

本稿では蘇った記憶や過誤記憶についての最近の考え方について論じた。この問題についてはさまざまな立場が存在し得るが、過去の記憶が蘇ったと当人に感じられる出来事も、それが過誤記憶となり得る可能性は実際にある。ただし最後の部分で示したように、これらのテーマについて論じる際は、多義的であいまいさを持つ抑圧という概念よりは、解離の機制を用いることでより整合的な議論が出来るであろう。しかしもう一世紀以上も用いられている抑圧の概念に比べて解離はまだ十分に理解されているとはいえず、臨床の場面においてのみその意義が認められているという部分があるという点を付け加えておきたい。

以上様々なトピックに触れたが、本稿が過誤記憶について考える上でのヒントになることを祈る。