この部分、全面的に書き直した。
記憶の脳科学と再固定化の問題
蘇った記憶や過誤記憶について理解するにあたり、記憶が脳でどのように形成されるかについて知っておく必要がある。その際重要なのがいわゆるニューラルネットワークモデルに基づく理解である。このモデルでは人間の脳が一千億ともいわれる膨大な数のニューロン(神経細胞)による網目状の構造をなしていると考える。そして過去の出来事を想起することとは脳に分散されて存在する数多くのニューロンが結び付けられてネットワークを形成し、同時に興奮する現象という事になる。
私達がある出来事を経験すると、特に強く感情が動いた際には海馬や扁桃体にその記憶の核となるネットワークが形成される。それが記憶の形成の始まりだが、それは既に存在していたニューロンの間の結び目(シナプス)がより太いつながりを持つことで可能となる。具体的にはそのシナプスを形成する材料となるタンパク合成が行われるのだ。たとえば土木工事で川幅を広げるためにはブロックなどの建材を積み上げる作業が必要であるが、それと同じである。このことは、ラットにある学習をさせる際にアニソマイシンなどのタンパク質合成阻害薬を投与することで学習が行われないという研究結果から明らかになった。
記憶が形成されるのにはこのようにタンパク合成という時間を要する変化が伴うために、記憶は一瞬にして成立することはなく、また想起されないことで徐々に劣化し、失われていくという性質を持つのである。
このモデルに従って、ある事柄を想起する、とはどういうことかを考えよう。例えば高校の卒業式のことを私たちが「覚えている」と感じるとする。するとその時体験した様々な事柄、「仰げば尊し~♬」のメロディー、クラスメートとの別れの握手や先生方の笑顔などが次々と浮かんでくるだろう。それは視覚的情報、聴覚情報、触覚情報などあらゆる様式によるものを含む。それらはもともと脳の様々な部位で蓄えられていたはずだ。ということは想起するとはそれらが一挙に結びつけられている状態と見なすことが出来よう。
ここで物事の想起される過程を説明するのが「連想活性化説 associative
activation」である。これは想起とはある一つの事柄からの連想という形で波紋が広がるようにニューロンが活性化されていくという現象であることを示す。上の卒業式の例では、思い浮かべた友達の一人に意識を向けると、今度はその友達に関する様々な思い出がよみがえるというわけである。これはある事柄の記憶内容に一定の限界を想定しにくいという事だ。そこから派生した連想もその想起内容に含みこまれてしまう可能性があるために、そのネットワークのすそ野は知らぬ間に広がっていく可能性があるのだ。
この想起と記憶の改変に関して最近明らかになったのがいわゆる「記憶の再固定化」という現象である。これについては東大の喜田聡先生のグループの研究が有名である。
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喜田グループはPTSDで生じるようなフラッシュバックを伴う記憶がどのように形成されるかを長年にわたって研究してきた。フラッシュバックとはトラウマ的な体験を持つと、その出来事を思い出そうとしなくても突然何かのきっかけで想起されるという現象である。そこで決め手となっているのが記憶の再固定化という現象である。記憶はそれを思い出すという事で一時的に「不安定」になる。すなわちそれが更に増強される(より強く記憶される)か、消去される(忘れていく)かの選択肢が生まれるということだ。比喩を用いるならば、それまでパズルの一つのピースとして治まっていた記憶が、それを思い出すことでいったん外れ、その形を変える可能性がある。そしてそれがよりガッチリ嵌り直されたり、小さくなって消えてしまったりするのである。喜田グループによれば、そこで重要な役割を果たすのが、そのピースが外されている(想起されている)時間である。彼らはマウスを明、暗の二つの檻に入れて嫌悪刺激(電気ショック)を与えるという実験により、その嫌悪刺激を思い出させる時間が3分以内などの短時間であれば、それはかえって増強されるのに対し、それが適度に長いと(例えば10分以上)マウスはその記憶を失う傾向にあることを発見したのだ。
この発見は記憶が想起されるごとに形を変える可能性を実証している。いわば伝言ゲームで最初の言葉が変形していくように、記憶も思い出されるたびに一部が誇張され、一部が薄れていくという形で、当初の体験とは多少なりとも変形されていくという可能性を示しているのだ。それとともに、臨床的にとても大きな意味を持つことになる。ある種のトラウマ記憶を短時間思い出しただけではそれは消える方向にはいかない。むしろ再固定化、つまり増強されてしまうのだ。そこでどうせ思い出すなら、安全な環境で3から10分以上思い出す必要があるという事だ。するとそのトラウマの記憶が今現在の安全な環境においては起きていないという事を脳が学習し、それによりそのトラウマは弱まっていく(消去される)ものと考えられる。