2022年1月12日水曜日

偽りの記憶 論文化 1

 初めに 問題のありか

本論文は「偽りの記憶」についての考察である。私は米国においてPTSDや解離性障害についての関心が高まるさなかの1990年代はずっとアメリカで臨床を行っていたが、多くの女性や子供が、実は性的な被害を受けていたことが明らかにされたことになる。ところがそれからワンテンポ遅れる形で出てきたのが、いわゆるFMSの問題、つまり「false memory syndrome 偽りの記憶症候群」というテーマであり、FMSF(偽りの記憶症候群財団)が出来上がった。そこでは数多くの人々が性的虐待の加害者であったことが告発されるとともに、過剰に、または誤った形で被害記憶を「想起」してしまうという出来事も生じてきてしまうという事態になった。偽りの記憶の議論が生まれる背景には、幼児期の性的虐待の問題がクローズアップされたことが背景にあることは間違いない。そして幼児期の性的虐待の記憶を呼び覚ますことを試みる精神科医や心理士やソーシャルワーカーが沢山現れた。そして幼少時に自分を虐待した親を訴える訴訟が生まれた。するとその中に幼少時に虐待を受けたという記憶を「誤って想起した(させられた)」ために甚大な金銭的、社会的損害を被った親たちが利益団体を形成した。それがFMSFであった。

欧米においてはこれらの問題は極めて政治的、ないし感情的な対立を生む。しかしその対立の中で記憶に関するより科学的で実証性のあるデータが得られるようになったことは否めない。少なくともこの偽りの記憶の論争を通して、私たちはこれまで常識として信じられてきたことに含まれる様々な問題を再考する機会を与えられたのである。
(以下略)