2022年1月20日木曜日

偽りの記憶 論文化 9

 記憶の脳科学と再固定化の問題

蘇った記憶や過誤記憶について理解するにあたり、まず記憶が脳でどのように形成されるかについて論じたい。ただし記憶の問題の解明はまだ始まったばかりであり、かなり仮説的なものも含まれることをお断りしたい。

まずある事柄を覚えている、あるいは想起する、とはどういうことかを考えよう。例えば高校の卒業式のことを私たちは「覚えている」と感じるとする。するとその時体験した様々な事柄、「仰げば尊し~♬」のメロディー、クラスメートとの別れの握手や先生方の顔などが沢山一挙に浮かんでくるだろう。それは視覚的情報、聴覚情報、触覚情報などあらゆるものを含む。そしてそれらはもともと脳の様々な部位で蓄えられていたはずだ。ということは記憶とはそれらが結びつけられている状態と見なすことが出来よう。

いわゆるニューラルネットワークモデルでは、人間の脳が膨大な数のニューロン(神経細胞)が網目状の構造をなしていると考える。それに従えば、過去の出来事を想起することとは、数多くのニューロンが同時に興奮する現象とみていい。そしてそこで物事の想起がまさに進行していく過程を説明するのが「連想活性化説 associative activationである。これは記憶とはある一つの事柄からの連想という形で波紋が広がるようにニューロンが活性化されていくという事だ。そのつなぎ目をノード(結び目)と呼ぶ。似た意味を持つノードの間には、強い結びつきがある。そこを伝わって記憶のネットワークが賦活化され、記憶内容が次々と広がっていくのである。

例を挙げよう。私がパリという言葉を思い出すと、昔留学した一年間の出来事がザザーッと流れてくる。それはパリ留学のうちのどの部分の記憶を思い出すかによりいかようにも展開していく。そのうちの一つ、例えばパリ滞在中に行ったドイツ旅行のノードについて思い出すと、そこからザザーッと流れ、パリとは直接関係のないミュンヘンの街角の喫茶店で食べた、生クリームてんこ盛りのケーキのことまで思い出す、というように広がっていくのだ。

このようなネットワークの広がりとしての記憶は、最初にどのように形成されたのだろうか。そこで中心的な役割を果たすのが大脳辺縁系にある海馬と扁桃核である。私たちはある出来事を経験し、そこで特に印象に残った記憶は海馬や扁桃体という部分が強く働いてそれを一時的に記憶にとどめる。つまりその記憶に関するネットワークの核となるべき部分が形成されるのであるが、それはいくつかのニューロンの間のノード(シナプス)が太くつながりを持つようになるという事だ。そしてそこでは具体的にはそのシナプスを形成する材料となるタンパク合成が行われる。川幅を広くするためにはブロックなどの建材を積み上げるなどの作業が必要であるが、それと同じである。このことは、ラットにある学習をさせる際にアニソマイシンなどのタンパク質合成阻害薬を投与することで学習が行われないという研究結果から明らかになった。

(以下略)