2022年1月18日火曜日

偽りの記憶 論文化 7

 ところで読者の皆さんはこのテーマで書かれた多くの論文や著書を読んで結局失われていた記憶が突然蘇ることがあるのか、について曖昧な回答しか得られない可能性がある。特にそれが臨床家により書かれたものでなければそうだ。そこで以下の論述の前に私の結論を最初に申し上げておく。それはその様な現象は実際に「起きうる」のである。その頻度は多くないにしても実際に臨床で体験される。例えば次のような例を挙げておこう。

「ある中年の男性が課長としてリーダーシップを取っていたが、(以下略)。」

この例に関しては、教会への通所という忘れていた出来事は事実関係が確認され、少なくとも偽りの記憶でないことを私自身が確認することが出来た。そしてもちろんこの出来事だけが特別ではない。解離の機序が働く場合にはこの種の健忘、そしてその後の想起はしばしば起きることを私自身が目にしているのである。

 記憶は蘇るのか?

さて、忘れていたはずの記憶が後になって甦ることはあるのか、そのプロセスで偽りの記憶はいかに形成されるのかについての考察が本論稿のテーマである。心理療法に携わる人にとっては、「抑圧されていた記憶が治療により蘇る」という現象があることはある意味では常識と考えられるのではないか。少なくとも精神分析ではその様なフロイトの考え方に異議を唱えることなど思いもよらないほうが普通ではないだろうか。それに比べて「偽りの記憶」の問題の歴史はまだ浅く、人々にもその正体が十分には理解されていないであろう。「抑圧された記憶がよみがえる中で、時々偽りの記憶が生まれるが、それはあくまでも例外的なものである」というのが一般の臨床家の感覚ではないであろうか?
 私は米国においてPTSDや解離性障害についての関心が高まるさなかの1980年代の半ばより1990年代までアメリカで精神科の臨床を行っていたが、その間の動きをよく思い出す。1980年代には多くの女性や子供が、一般的に知られるよりはるかに高い頻度で性的、身体的なトラウマの被害者となっていたことが明らかにされた。その結果として戦闘体験を有する人や性被害の犠牲者となった人々がPTSDや解離性障害が数多く報告されるようになったのである。ただしこれは個人の中に抑圧されていた記憶がよみがえったというばかりではなく、社会が、医療従事者がそれを無視したり注目していなかったことがかかわっていた。ところがそれからワンテンポ遅れる形で出てきたのが、いわゆるFMSの問題、つまり「false memory syndrome 偽りの記憶症候群」というテーマであった。つまり数多くの人々が性的虐待の加害者であったことが告発されるとともに、過剰に、または誤った形で被害記憶を「想起」してしまうという出来事も生じてきてしまうという事態になった。そして出来上がったのがFMSF(偽りの記憶症候群財団)である。
 偽りの記憶の議論が生まれる背景には、幼児期の性的虐待の問題がクローズアップされたことが背景にあることは間違いない。そして幼児期の性的虐待の記憶を呼び覚ますことを試みる精神科医や心理士やソーシャルワーカーが沢山現れた。そして幼少時に自分を虐待した親を訴える訴訟が生まれた。するとその中に幼少時に虐待を受けたという記憶を「誤って想起した(させられた)」ために甚大な金銭的、社会的損害を被った親たちが利益団体を形成した。それがFMSFであった。