2022年1月16日日曜日

偽りの記憶 論文化 5

 トラウマ記憶は特別か?

蘇った記憶、偽りの記憶について考える際、トラウマ記憶の問題は特に重要である。私たちが外傷的な出来事、トラウマを体験した際に、その際の記憶は通常の記憶とは異なる振る舞いを見せることが知られている。それはしばしば突然蘇り、またしばしば偽りの記憶という形をとる。1980年代から米国で社会問題となった偽りの記憶は患者により報告された幼少時に受けたというトラウマ記憶であった。

様々な記憶の中でもトラウマ記憶は特別な存在なのか? それは突然蘇ったり偽りの記憶として生成される傾向を持つのであろうか? 一般に信じられているものは以下のようなものであろう。トラウマを受けた状態では、精神が極めて動揺し、そのために通常の記憶とは異なる記憶が形成される可能性がある。その際しばしば人は興奮状態や解離状態になり、その結果としてトラウマ体験の時の記憶はある意味では抑制され、別の意味では促進される傾向にある。一部に記憶喪失が、そして別の部分に記憶増進の両方が起きるという。これは臨床的に言っても妥当である。前者は自伝的な記憶の障害であり、後者はフラッシュバック等の情動的な部分の過剰な記憶ということになる。この問題について正面から問いただした研究がある。2001年にスティーブン・ポーターとアンジェラ・バートの論文  “Is Traumatic Memory special ?” (トラウマ記憶は特別だろうか?)がそれだ。

Porter, S., Birt, A. (2001) Is Traumatic Memory Special? A Comparison of Traumatic Memory Characteristics with Memory for Other Emotional Life Experiences.  Applied Cognitive Psychology. 15;101-107.

 彼らは306人の被検者にこれまでで一番トラウマ的であった経験と、一番うれしかった経験を語ってもらった。その結果トラウマ度が極度に高くても、非常に明確で詳細な内容を語ることが出来たという。ただし彼らはトラウマ的なことに関しては抑圧repression を用いるのではなく、一生懸命意識から押しのけようとしていた(抑制 suppression)という。またトラウマの度合いが高い人ほどDES(トラウマ体験尺度)の値も高かったという。この抑圧と抑制の区別はもう少し解説が必要であろう。抑制とは意識的な努力であり、そのことを考えないようにしているわけで、その意味では「忘却」はしていないのだ。それに比べて抑圧とはその内容全体が無意識にあり、その代理物としての症状や夢を通してしかその存在を知ることが出来ないのである。

 このデータをどう理解するべきか。私の考えでは、おそらくトラウマが抑圧されるという議論についての一定の結論はここに出されているのではないかと思う。つまりそれはフロイトが(誤って、ではあるが)非難されている議論、すなわちトラウマは抑圧されるという議論をさしている。ただ解離の関連する記憶の想起は実際に臨床上体験されることであり、それを否定することは出来ない。

結論から言えば、この研究では、臨床上問題となるようなトラウマ記憶を救い上げることが出来ていないと言える。それが一般の健常者を対象とする研究の限界かも知れない。では改めてトラウマ記憶について説明しよう。これはPTSDで問題になるような、恐怖を伴ったトラウマ的な記憶である。トラウマ記憶は通常の記憶と異なる性質を有するという事が知られている。一番の特徴はそれが通常の記憶と異なり、いわば情緒的な部分が時空間的な情報の部分と別れてしまったものである。これについてはかつて「忘れる技術」という本を書いたが、記憶は認知的(「頭」の)部分と情緒的な部分と情緒的(「体」の)部分の組み合わせであるという説明の仕方をした。前者は時空間的な情報の部分であり海馬で作られるが、後者は扁桃核や小脳で作られる。一般的な記憶はその両方を備えているのがふつうであるが、それが分かれてしまい、例えば体の部分のみになってしまったり、両者はバラバラに思い出されると言ったことがトラウマ記憶の特徴であると説明した。

このトラウマ記憶はキチンと想起できない、という面と、逆に忘れられない、という両側面を持つ。PTSDの患者と一般人に記憶力テストを行い、一連の単語を見せた後、それを覚えておくか忘れるかを被検者に指示する。すると、PTSDの患者の方が記憶できた単語数が少ないという。ところが興味深いことに忘れるように言われた単語は逆に余計覚えているという所見も明らかになった。つまりPTSDでは「忘れる」能力が低下しているということなのだ。