2022年1月9日日曜日

偽りの記憶 推敲 5

 トラウマ記憶は特別か?

私たちが外傷的な出来事、トラウマを体験した際に、その際の記憶はどうなるのだろうか?トラウマ記憶は特別なものなのか? この問題についてはさまざまな見解があるが、2001年にスティーブン・ポーターとアンジェラ・バートの論文Is Traumatic Memory special ? はそれに答えたものだ。(何と!! ただでダウンロードできた!)彼らによれば、よく信じられているのは、トラウマを受けると動揺し、そのために記憶が十分に残らないという説だ。そしてそこには解離の議論もよく出てくる。これもトラウマの最中にひとは解離状態になり、そのためにその出来事を十分に記銘できない、という主張である。ただしその際にトラウマ記憶は一部に記憶喪失が、そして別の部分に記憶増進の両方が起きるという。これは臨床的に言っても妥当である。前者は自伝的な記憶の障害であり、後者はフラッシュバック等の情動的な部分の過剰な記憶ということになる。ところがポーターとバートはそのような理論に根拠はないという。精神医学では半ば定説化しているこのトラウマ記憶と解離との関係についての否定的な理論も2000年以降提出されているというのは意外だった。それによると「通常は感情的な出来事の最中に解離を起こすことはなく、トラウマとなる状況の記憶が特別に断片化されることを裏付ける根拠もない」という。(P194)。ここの部分は読み飛ばすわけにはいかない。ぜひこの論文の原著に当たってみなくてはならない。

しかしそれとは別の見解もあるらしい。それは脳に損傷がなければ、記憶に対する「トラウマ優位効果」が存在するという。ある研究者は最近トラウマを経験したという被検者を集めて、その時点、三か月後、三年半後に聞き取り調査をしたという。そしてそれとともに心に良い影響を与えた記憶についても尋ねたそうだ。そして衝撃的な出来事の記憶は、時間を経ても非常に一貫性があり、特徴の大部分がほとんど変わらなかったという。また心に良い影響を与えた経験に比べ、悪影響のあった経験の記憶は時間を経過しても極めて安定していたとされる。これが「トラウマ優位効果」という事であろうが、私たちが体験しているPTSD症状を伴う体験を持った人々の語りはこうではない。という事はこれらの実験に参加した人々は、臨床群とは異なると考えるしかないように思える。

 ところで例の論文Is Traumatic Memory special ? に目を通してみた。トラウマ記憶に関する議論には、私たちが臨床上親しんでいるトラウマ理論とは別にトラウマの優位/同等議論というのがあるらしい。こちらの方をこの論文は支持しているのだ。そこで読んでみると…いやはや、私はこのような地道な研究をする人たちに改めて頭が下がる思いである。

Porter, S., Birt, A. (2001) Is Traumatic Memory Special? A Comparison of Traumatic Memory Characteristics with Memory for Other Emotional Life Experiences.  Applied Cognitive Psychology. 15;101-107.

 

最後のディスカッションのところをまとめると、彼らは306人の被検者にこれまでで一番トラウマ的であった経験と、一番うれしかった経験を語ってもらった。その結果トラウマ度が極度に高くても、非常に明確で詳細な内容を語ることが出来たという。ただし彼らはトラウマ的なことに関しては抑圧repression を用いるのではなく、一生懸命意識から押しのけようとしていた(抑制 suppression)という。またトラウマの度合いが高い人ほどDES(トラウマ体験尺度)の値も高かったという。

このデータをどう理解するべきか。私の考えでは、おそらくトラウマが抑圧されるという議論についての一定の結論はここに出されているのではないかと思う。つまりそれはフロイトが(誤って、ではあるが)非難されている議論、すなわちトラウマは抑圧されるという議論をさしている。ただ解離の関連する記憶の想起は実際に臨床上体験されることであり、それを否定することは出来ない。