2022年1月8日土曜日

偽りの記憶 推敲 4

 催眠でも埋もれた記憶を掘り起こせるのか

もう一つ本書で問題にするのが、「催眠でも埋もれた記憶を掘り起こせるのか」というテーマは偽りの記憶の問題にとって重要である。このような想像をしてみよう。非常に有能で経験豊かな催眠術者が被験者に深い催眠をかけると、彼はたとえば子供時代のあるエピソードについて滔々と語るというようなことが起きるのだろうか。ショウの書によれば、アメリカの大学生の44%はそのような現象を信じているという。しかしその実証性はなんと、「ない」ということだ。
 1962年の研究で、ボストン大学のセオドア・バーバーが発見したのは、幼児期まで退行するという暗示をかけられた被験者の多くが、子供の様なふるまいをし、記憶を取り戻したと主張したという。しかし詳しく調べてみると、その「退行した」被実者が見せた反応は、子供の実際の行いや言葉、感情や認識とは一致しなかったという。バーバーの主張によれば、被検者たちには子供時代を追体験しているかのように感じられたのだろうが、実はその体験は再発見した記憶というより、むしろ創造的な再現だった。同様に、心理療法中、暗示的で探るような質問に催眠術を組み合わされると、複雑で鮮明なトラウマの過誤記憶が形成される可能性があるという。
 もしこのような記述になぜこの数行の文章が悩ましいか? 考えてみよう。退行催眠が可能な人のいったい何人にDIDの人が混じっている可能性があるだろうか?そもそも催眠にかかりやすい人とは、結局解離性障害を有している人という事はないだろうか? 誰かこの疑問に答えてくれないだろうか? おそらく無理であろう。 

洗脳

洗脳は最近ではむしろ感化 influence という表現を用いることの方が多い。この感化は、実は私たちが日常的に体験していることでもあるという。私たちはよく、「自分は洗脳などされていない」と思いがちである。しかし私たちはこの国に生まれて、ごく普通に生きているだけで、すでにたくさんの考えを受け付けられ、信じ込んでいるものだ。例えば私は無宗教だが、●●教の信者に彼らの信じていることを話してもらえば、彼らのことを一種の洗脳状態が起きていると見なすかもしれない。しかし●●教の側から見れば、私の方が明らかに無宗教という形での洗脳の犠牲者になっているように思えるだろう。いや、宗教などを持ち出すこともないかもしれない。例えば私たちが属する学派などはその例かも知れない。私は××(どちらかと言えば)学派に属するわけであるが、▽▽学派に属している先生の気持ちはわからない。ところが向こうはこちらのことを同じように考えているであろう。一つ確かなことは、私たちはある環境である考え方を取り入れ、それをかなり頑強に守るという傾向がある。それは何となく信じている感じでも、それをいったん変えようとするとかなりの抵抗を自分の中で感じる。つまりこれは一種の信じ込み、洗脳、いや感化のレベルと考えてもいいのであろう。
 私は時々人はなぜこれほどまで自分の考えを変えないのかと不思議に思うことがある。もちろん私自身も含めてだ。ある時AM真理教の元信者がインタビューに応じるのを見たことがある。彼は今でもM教祖様との間柄について問われると、陶然とした表情になり、いかにM様に救われたか、いかに自分を分かってもらえたかと話す。つまり洗脳状況ではある思想、思考は報酬系としっかり結びついているのだ。一種の嗜癖と考えてもいいだろう。ある思考は、それに関連した人間関係、知識体系を巻き込んでいて、全体がその人の快感につながっている。だからそこから逃れられないのだ。ではなぜその宗教や人に信心し、ほれ込むのか。それは恐らく非常に偶発的なものだ。たまたまその人との関係に嵌まり込み、そこで快感を体験すると、そこから抜け出すことが出来なくなっていく。それは人が恋愛対象を見つけるプロセスとかなり類似しているのだ。 

サブリミナル効果

サブリミナル効果とは、意識にのぼらないような刺激を与えられることで、人間の行動に変化が生じるという事である。実は有名なポップコーンの実験以来このテーマの研究は色々行なわれているが、今一つその存在の決め手がないようだ。

1957年に行われたジェームズ・ヴィカリーの市場調査業者はしばしば例に挙げられる。ニュージャージー州のある映画館で映画の上映中にスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであったという。この実験は大きなセンセーションを巻き起こしたが、ヴィカリーは、アメリカ広告調査機構の要請にも関らず、この実験の内容と結果についての論文を発表せず、また同様の実験が追試されたがこのような効果はなかったとされる。数年後にはヴィカリー自身が「マスコミに情報が漏れた時にはまだ実験はしていなかったし、データも不十分だった」という談話を掲載したという。また19582月に、カナダのCBCが行った実験で、ある番組の最中に352回にわたり「telephone now(今すぐお電話を)」というメッセージを投影させてみたが、誰も電話をかけてこなかったという。また、放送中に何か感じたことがあったら手紙を出すよう視聴者に呼びかけたが、500通以上届いた手紙の中に、電話をかけたくなったというものはひとつも無かった。 さらに、新潟大学の鈴木光太郎教授は、この実験そのものがなかったと指摘している。

なんかひどい話であるが、この種の検証は色々行なわれていて、あるものはサブリミナル効果の存在を示し、あるものは示さなかったという結果になっているらしい。例えば次のような実験には信憑性がありそうだ。Berridge and Winkielman2003)による研究であり、参加者を募って3つのグループに分け、彼らが気が付かないようなほんの一瞬、3枚の写真のどれかを見せる。それらの写真とは笑顔と中立的な顔と怒った顔の三枚である。そしてその後フルーツ飲料を自分で好きなだけ注がせるという実験である。その結果は笑顔を見せられた人たちは、それ以外の人たちに比べて50%ほど多くフルーツ飲料を自分のグラスに注いだという。

 ところでこのサブリミナル効果の問題は、私が専門としている精神分析の世界では深刻なテーマを呈している。精神分析の世界で通常私たちが無意識として考えるのは、私たちの心の奥底にうごめいているが意識できないような本能や願望などである。しかしそのような無意識内容などそもそもあるのかという事について、疑問符が付けられるという動きが、精神分析の内部でも、少なくとも一部の分析家によりみられる。これはその様なフロイト的な無意識が存在しないというわけではなく、それを確かめようがないという問題があるからだ。ただし重要なのは、精神分析の奔流にいる分析家が、無意識の例としてサブリミナル効果を上げているという事は、彼もまたフロイトの古典的な意味での無意識をあまり想定していないという事になるのだ。それよりは、意識していない部分が私たちの意識的な考えや行動に影響を与え得るという意味で一番検証しやすい「無意識」内容こそがサブリミナル効果なのである。

フロイトは夢において極めて特徴的なプロセスが働き、いくつかの単語が組み合わさるといったいわば化学反応のような現象が脳で生じて、それが症状として表れるという説明を行った。しかしそれは最近のサブリミナルメッセージの研究の一つと似ている。例えば歌に組み込まれた「バックワードメッセージ」(逆に再生すると現れるメッセージ)が効果を発揮するという研究もある。「ルイテレワノロハエマオ」と聞いた人が、なぜか背筋がゾッとする。それはこれを逆向きに読むと「お前は呪われている」となり、しかし無意識はその様なパズルを解き、ヒヤッとするという理屈だ。