まずは1から考えましょう。他者として見ずに、例えばその人自身の演技とみる。
この演技という範囲は非常に広い。~と思い込んでいる。~のつもりになっている、というものを含むとしたら、どこまで「意図的」な行為かはわからない。そしてその演技の意図としては大抵が「注意を引こうとする」ため。というのが定番である。この最後の点については、以下の文章を約7年前にこのブログに乗せたことがある。2015年1月11日である。
先日「プリズム」(百田尚樹、幻冬舎文庫、2014年、ただしオリジナルは2011年)を手に取った。解離性障害をテーマにした小説である。本文を読む前に「解説」を読んだが、そこに書かれている某精神科医の言葉には本当に失望した。これを読むことでますます一般の人々のこの障害についての誤解が深まることは間違いない。
解離否認症候群は以下の6項目にわたる主張をほぼ全面的に受け入れるものである。
1.私は定型的な解離性同一性障害に出会ったことはほとんどない。
2.ただし自分を解離性障害という患者さんには何人かであったことがある。
3.自分がいくつかの人格を持つという主張はアピールであり、それを一つのアイデンティティと見なしている。
4.最善の対処の仕方は、人格部分が出現した場合に、それを相手にしないことである。
5.相手にしないことで、人格部分の出現は起きなくなる。
6.解離性障害はおおむね医原性と見なすことができる。