JSSTD(国際解離トラウマ学会日本支部)の大会が迫っている。そこで以下のテーマで話すことになるが、どんな感じで話し出すかという事を考えてみた。それにしてもこのところ何度も同じテーマで話しているので、「またあの話か」と思われそうで気が重い。
「『他者』としての交代人格と出会うこと」
この様なテーマで発表いたしますが、実は私は解離のお話をするときにはいつもこのテーマに戻ってしまい、皆さんはもう聞き飽きていらっしゃるのではないかという懸念があります。ただしおそらくそう思っているのは私だけで、依然として私の伝え方が十分ではなく、真意を伝えることが出来ていないのではないかと思います。そこでなるべくわかりやすくお伝えしようと思います。
「他者としての交代人格と出会う」という事で私が意図しているのは、私たちがDIDの人たちと会う時、患者さんが自分を分かり、受け入れてもらえたと感じられるような会い方をしましょう、という事です。そしてそのための会い方は、交代人格のことを一個の人間として遇しましょう、それが一番臨床的に意味があることですよ、と言いたいわけです。「他者」として出会う、とはわかりやすく言えば、私がAさんという人、ないしBさんという人と出会うのと同じだという事です。つまり皆さんの一人と出会うという当たり前のことです。ところが様々な理由で、私たちはそれを出来にくいという現状があり、それは解離性障害の臨床を行う私たちがそうなる危険性を十分認識しておくべきだと思うのです。
まず私たちが「他者としての交代人格と会う」という事に失敗するいくつかのパターンを考えたいと思います。
1. 一つは「見て見ぬふり」をするという事です。
2. 人格部分として見るという事です。部分としてではなく一つの全体として別人格と会う、というのは要するに他者と会う、という事と同様であるという事です。
そしてついでに論じるのは、他者性が問題になる統合失調症と異なり、解離性障害における他者とはある意味でとても健全なお隣さんだという事です。