2021年12月26日日曜日

偽りの記憶の問題 18

  ショウの本を読み続ける。P210 あたり。「言葉にすると記憶が損なわれる」という節では、面白い実験が描かれている。人に30秒ほどある人物の写真を見せ、二つのグループに分ける。一つにはその写真の人物を言葉で描写してもらい(例えば紙が茶髪、目の色が緑、唇が薄い、など)、もう一つのグループには何も施さない。そして数日後にその写真をどのくらい覚えているかを調べる。すると書き留めてもらった人の正解率は27%で、それをしなかったコントロール群は61%であったという。つまり言葉に直した方のグループに、そこで大きな記憶の歪曲が起きたのだ。この種の実験も結構色々な研究者により追試されて、同様の結果が出ているという。色や味、音などについても同様の結果が出ているらしいのだ。言葉にするということはそれをかなり限定し、歪曲することに繋がる。それが過誤記憶を生む傾向を増すという事らしい。ここで、

この件で連想した私自身の話をしよう。(ただし上の例とは直接関係ない。)この間「帯(おび)」という文字を手書きで書く必要が生じた。「帯状回」という脳の部位を描こうとしたのだ。そして少し字が読みにくかったので消しゴムで消して書こうとして、またうまく書けず、もう一度消して書き直そうとしたとき「例のこと」が起きた。これは私がこれまで何度か体験したことだが、簡単な漢字を何度か書き直そうとしているうちに、それが一時的に書けなくなってしまったのだ。考えれば考えるほど書けない。というより映像として思い出せない。私はこのような場合、しばらく「寝かせて」置けばまた思い出すことを知っているので、しばらく忘れていて、一時間ほどして書くことが出来たが、それまでほとんど自動的に行えたことが、意識するとわからなくなることはよくある。恥ずかしい話だが、私はネクタイを年に数回結ぶ機会がある時は、なるべくササっとやるようにしている。というのはやっているうちに分からなくなるのが怖いからだ。(私は実はこれは種の学習障害の傾向だと思っている。ごく若いころからすでに、こんなことはよくあったのだ。)

この現象は結構他人にも起きることと聞いているのである程度一般化できるであろうが、それはすでに述べた記憶の再固定化と関係しているように思う。ある事柄を思い出すとそれが不安定になり、そこから消えたり、逆に再固定されたりするという現象が起きるという例の話だ。しかしこれはその現象とは明らかに違う。なぜなら私は「帯」という字がそれを機会に書けなくなってしまうという事はないからだ。「帯」と書く能力はすでに獲得されている。ただそれを意識化する過程でおかしなことが起きてしまうのだ。

敢えて説明すると次のようなことが起きる。通常は半ば無意識的に、ABCDE と筋肉の動き、あるいは文字の流れが記憶され、それは半ば無意識的に再現される。ところが一つ一つを意識化するとこのサラッとした半ば無意識的な流れが阻害されるのだ。