昨日の続きだが、トラウマ記憶という事に関しては、臨床家と研究者の間には大きな隔たりがあるという印象を持つ。解離性健忘やトラウマ記憶がかなり特異なふるまいをすることはわかっているが、ショウの本では、「感情的な出来事の最中に解離を起こすことはなく、トラウマとなる状況の記憶が特別に断片化されることを裏付ける証拠もないと主張している」と記されている(P194)。一般的に言われているのは、脳に損傷がなければ、記憶に対する「トラウマ優位効果」が存在するという。ある研究者は最近トラウマを経験したという被検者を集めて、その時点、三か月後、三年半後に聞き取り調査をしたという。そしてそれとともに心に良い影響を与えた記憶についても尋ねたそうだ。そして衝撃的な出来事の記憶は、時間を経ても非常に一貫性があり、特徴の大部分がほとんど変わらなかったという。また心に良い影響を与えた経験に比べ、悪影響のあった経験の記憶は時間を経過しても極めて安定していたとされる。これが「トラウマ優位効果」という事であろうが、私たちが体験しているPTSD症状を伴う体験を持った人々の語りはこうではない。という事はこれらの実験に参加した人々は、臨床群とは異なると考えるしかないように思える
P202に書かれていることは本書全体にとってとても重要だ。それは著者が実際に行った過誤記憶の植え付けの実験であり、結論から言えば、被検者の70%以上が、犯罪と感情的な出来事の両方で、完全な過誤記憶を作り上げるという。こうなると例えば裁判などにおける証言の意味すら曖昧になってきたりする。(裁判にかなりの回数出た経験があるが、利害関係を有しない人に関する証言は、サイエンスにおけるエビデンスと同等にあつかわれるという印象を持っている。)
P208 には海軍でのサバイバル訓練の例が挙げられている。そこで模擬的に捕虜にされて特定の人物に厳しい尋問を受けるという状況に身を置かれた人たちは、偽の尋問者の写真を示された。やがて解放された被検者は、何と84~91%の率で、写真で見せられた人物を尋問者として報告したという。それに具体的な情報でさえ、質問をそのように仕向けるだけで過誤記憶を生み出した。例えばそこに電話はなかったにもかかわらず「尋問者は電話をかけることを許可したか?」そしてその電話について描写せよ、と言われただけで、98%の被検者は、そこに電話があったと証言したという。
読んでいくうちに、記憶のことがいよいよわからなくなってきた。