101ページあたりにある、「ファジー痕跡理論 fuzzy trace theory」というのも興味深い。記憶には要旨的な要素と逐語的な要素がある。例えば私たちの多くは人の名前を思い出すことが難しいだろうが、Aさんのことについていくらでも記述が出来ても、肝心のAさんという名前が思い浮かばない。前者は要旨的gist、後者は逐語的 verbatimだ。そしてこのような解離が起きることが、これらの両者の記憶は別々に貯蔵されるという事を意味しているのだという。これはよく分かる説明だな。そしてこれらが別々に保存されるという事が、両者が誤って結び付けられることの原因の一つでもあるという。
さて第4章の「記憶の魔術師たち」の章は,きわめて興味深い、超能力的な記憶力を誇る人たちの話だが、その内容もさることながら、私は自分の記憶力の悪さについて一つの洞察(言い訳?)を得た。それは忘れるというのは偉大な能力であり、私は一度記名したことを消去する力が非常に優れているという事だ。
まあそんなことを考えさせてくる例として、いわゆる超記憶に悩む人たちの話が出てくる。この本ではそのような超記憶を、いわゆるハイパーサイメシア、エイデティカ―、サバンの三種類に分けている。二番目のエイデティカ―は、いわゆるフォトグラフィックメモリーのことであるが、ここは省略する。
最初のハイパーサイメシアについてであるが、AJという人は、過去の出来事を何年何月何日というレベルでことごとく語ることが出来、それは彼女が詳細につけている日記によってその正しさが証明できるというのだ。研究者たちはこれを「ハイパーサイメシア」(超記憶症)ないしHSAM (highly superior
autobiographical memoryと)名付けた。そしてこのような桁外れの能力は現在では世界中で少なくとも56人が確認されているという。
さてこのメカニズムを説明するためにペンフィールドは大胆な理論を提出したという。それは脳の中にはPCみたいな装置があり、すべてを記憶している部分があり、私たちはそれにアクセスできないというものだ。HSAMの人たちはたまたまそこにアクセスするカギを持っているからそれが可能だという事になる。しかしこの理論は今ではあまり受け入れられていないという。さてここからが面白いのだが、彼らはHSAMに過誤記憶を作ることがどれほどあるかを調べたという。ある話をし、あるいはある映像を見せ、後にその詳細について尋ねる。そこに誤ったものが含まれると過誤記憶というわけであるが、HSAM群は非HSAMよりも不正確な細部を受け入れる傾向が強かったという!!