2021年11月27日土曜日

解離における他者性 57

 ところがある特殊な条件のもとで心の中にいわばバーチャルな意識や能動体が形成され、その部分に何かをされると、こころは受動モードにとどまった状態になる。そしてそれが別人格の形成の始まりであり、その人格に触られると「触られた」という受動的な感覚が起きることもある。実に不思議な現象だが、それが先ほどの自分を叱る父親に対して同一化をするという例と同様な状態と考えられる。そしておそらくはこの攻撃者との同一化のプロセスで生まれた人格が黒幕人格の原型と考えられるのだ。
 この攻撃者との同一化は、一種の体外離脱体験のような形を取ることもある。子供が父親に厳しく叱られたり虐待されたりする状況を考えよう。子供がその父親に同一化を起こした際、その視線はおそらく外から子供を見ている。実際にはいわば上から自分を見下ろしているような体験になることが多いようだ。なぜこのようなことが実際に可能かはわからないが、おそらくある体験が自分自身でこれ以上許容不可能になるとき、この様な不思議な形での自己のスプリッティングが起きるようなのだ。実際にこれまでにないような恐怖や感動を体験している際に、多くの人がこの不思議な体験を持ち、記憶している。これは特に解離性障害を有する人に限ったことではないし、また誰かから攻撃された場合には限らない。ピアノを一心不乱で演奏している時に、その自分を見下ろすような体験を持つ人もいる。しかし将来解離性障害に発展する人の場合には、これが自分の中に自分の片割れができたような状態となり、二人が対話をしつつ物事を体験しているという状態にもなるであろうし、お互いが気配を感じつつ、でもどちらか一方が外に出ている、という状態ともなるであろう。後者の場合はAが出ている時には、B(別の人格、例えばここでは父親に同一化した人格)の存在やその視線をどこかに感じ、Bが出ている場合にはAの存在を感じるという形を取るだろう。日本の解離研究の第一人者である柴山雅俊先生のおっしゃる、解離でよくみられる「後ろに気配を感じる」、という状態は、たとえば体外離脱が起きている際に、見下ろされている側が体験することになる。
 この解離における攻撃者との同一化というプロセスが、具体的に脳の中でどのような現象が生じることで成立するかは全くと言っていいほど分かっていない。唯一ついえるのは、私たちの脳はあたかもコンピューターにソフトをインストールするのに似たような、自分の外側に存在する人の心をまるでコピーするという現象が起きるらしいということだ。それが、たとえば誰かになり切ったかのように振舞う、という同一化と明らかに異なる点である。こちらの場合はあくまでも主体は保たれていて、その主体の想像の世界で誰かの役を演じているという意識があるのだ。しかし解離における攻撃者との同一化では、その誰かが文字通り乗り移って振舞う、ということがおきる。