図 3 が私が示したい最後の図である。この図は「健常」人との比較で、DIDにおいてDCがどのようにかかわっているかを示したものである。ただし左の図の「健常」に付けられた鍵括弧にご注意いただきたい。つまりDIDの状態が健常でないという保証はなく、また普通の人でもDCを複数持っているかもしれないからだ。そして右側の図はDCが複数存在するという、Edelman
自身が解離性障害に関して予言した事態だ。ここではいくつかのDCを重ねて描いたが、それぞれが上で示したような視床と皮質の間の頻繁なネットワークの行き来と、大脳基底核との関連を有しているため、このように表現することにした。ただ複数のDCが具体的にどのように「重なって」いるかは不明である。それらはひょっとしたら本当に解剖学的にずれた形で存在しているのかもしれない。しかし一番考えられるのは、同じ解剖学的な領域の中に、それぞれ異なったネットワークとして成立しているという可能性もある。それはまさに二色(というより多色) のソフトクリームのように、ねじり込まれているのかもしれないし、脳波の在り方が実はフーリエ級数的で、いくつかの脳波の合成になっているのかもしれない。いずれにせよそれぞれ異なるネットワークからなるDCがそこに存在していると考えることができるのだ。
まとめ
この発表では、解離性障害における「他者性の問題」を考え、DIDの症状を説明するような脳科学的な基盤として、Edelman,
Tononi のDCモデルを用いた。このように考えると、交代人格のそれぞれがそれぞれ別のDCを備え、したがって互いに他者であるということに異論をはさみにくくなるだろう。このような交代人格の個別性は私がいくら強調しても、し過ぎることはない。そしてDIDの人々のこのような特徴を知ることが現代的なポリサイキズムを復権することにつながるのではないかと考える。心のあり方を多重的なものとしてとらえる視点は、心を複雑系の立場からとらえる現代的な脳科学の進むべき方向とも一致しているものと考える。