2021年11月24日水曜日

解離における他者性 54

  これからしばらくは、黒幕人格の生成過程について論じる。黒幕人格とは「怒りや攻撃性を伴った人格部分」(解離新時代 岩崎学術出版社、2015年)として私が定義して用いている表現である。時には「黒幕さん」という多少なりとも敬意を表した呼び方を用いることもある。私は本書では一律に交代人格の持つ「他者性」について論じているが、この黒幕人格はその中でも際立ってその他者性が明確な形で表現される傾向にある。それはしばしば主人格やそのほかの人格たちの利害とは異なる行動や思考を表すからである。

黒幕人格がどのように形成されるかについては、もちろん詳しいことが分からないが、いくつかの仮説のようなものがある。そしてそれを仮説は仮説なりに頭の隅に置いておくことで、臨床的な理解が深まるかもしれないであろう。そもそもそれらの仮説は、臨床で出会う様々な現象や逸話をもとに、それらをうまく説明するように作り上げられたものだからである。

 黒幕人格と「攻撃者との同一化」

 黒幕人格に出会うことで改めて感じることがある。それは人格は基本的には「本人」とは異なる存在、いわば他者であり、ある意味では「アカの他人」として表現されるべき存在であるという事だ。ここで私が言う「本人」とは、いわゆる主人格や基本人格など、その人として普段ふるまっている人格のことだ。黒幕人格以外の、基本的には自分たちを大切にしている人格たちという意味である。「本人」は自分がしたいことをし、身に危険が迫ればそれを回避するであろう。ところが黒幕人格は大抵は「本人」の利害に無頓着な様子を示す。そしてしばしば「本人」達の生活を破壊し、その体に傷をつけるような振る舞いをするのだ。黒幕さんが去った後は、「本人」は何か嵐のような出来事が起きたらしいこと、それにより多くのものを失い、周囲の人々に迷惑をかけてしまった可能性があること、そして周囲の多くの人は自分がその責任を取るべきだと考えていることを知ることになる。それは黒幕さんの行動の多くが、その定義通り攻撃性、破壊性を伴うからである。ただし黒幕さんたちのことを深く知ると、その背後には悲しみや恨みの感情が隠されている場合があることを、「本人」も周囲も知るようになるのである。いったいなぜ「本人」が困ったり悲しんだりするような行動を「黒幕さん」たちはしてしまうのだろうか? 彼らが示す怒りとはどこから来るのだろうか。