2021年11月10日水曜日

解離における他者性 40

 Phillip Bromberg の論文(p639)を読むと、「交代人格=断片仮説」がいかに根強いかが改めて分かる。一つの自分unitary self という発達論的に適応的な幻想は時として崩れてしまう。彼は私たちの心が実は様々な「状態」に分かれていると指摘する。解離の患者と話すと、それらのバラバラの状態と出会う。そしてトラウマ的な体験が起きると、それは象徴的に処理できずに、何らかの引き金により「予期しない回帰 unanticipated return」が起きることを回避するために、解離的な早期の警報システムdissociative early warning systemが発達する。それが解離という事だ。もう少しわかりやすい言い方をするならば、本来が心は別れていて、それが幻の統合を果たすのだが、トラウマにより元の状態に戻ってしまう。そしてトラウマを予期して初めから分かれてしまっているのが解離という事だろう。すると精神分析の目的は象徴化されていない体験を処理することで統合に向かわせることだという事になる。
 ここでBromberg Wolff の研究を引き合いに出す。彼は最初から自己はいくつかの状態に分かれている、という。Kihlstrom (1987) によれば、自己表象と出来事の表象がリンクすることで人はそれを体験したという感覚が生まれる。それが出来ていない状態が解離というわけだ。これに関してBucci 2002)によれば、象徴下のものは象徴的な要素に連結可能な状態になっているが、解離されたものはそうでもないという。そして精神分析的治療の目的はそれを統合することであるとする。

Bromberg は例の愛着のD型(解離型)の問題も持ち出し、トラウマ的な関りを体験した子供が自己を統合できない問題であると論じている。

乳幼児研究、愛着研究などはどれも「交代人格=断片説」を支持しているようである。