2021年11月2日火曜日

解離における他者性 32

  Sullivan の解離の議論も注目に値する。彼の理論は米国のメインストリームに組み込まれるまでに多くの時間を要したが、解離の概念についてSullivan が強調していたことは改めて注目すべきであろう。Stern は次のように言う。「Sullivan にとっては、抑圧ではなく解離こそが第一の防衛操作であった。それは彼は耐えがたい体験の再演こそが第一の危険と考えていたのであり、原初的な内因性のファンタジーの突き上げではなかったからである。Sullivan や対人関係学派の人々は、Winnicott のように、解離をトラウマ理論の文脈で論じる。Sullivan の「良い自分 good me」、「悪い自分 bad me」、「自分でない自分 not-me 」という議論の中で、最後の「自分でない自分」は深刻な悪夢や解離状態でしか直接体験出来ないとする。この体験は決して学習されない。なぜならそれが痛みを伴うからであり、原初的な状態(あるいは彼のいうプロトタキシック、パラタキシックなレベル)でしか体験されないからである。Sullivan の解離の概念においては、解離された主体(「自分でない自分」)は主たる主体(「自分」)にとって異物だったりそれとは独立していたりするのであり、私たちはこの理解は van der Hart のタイプ2に属する可能性があると考えることが出来るかもしれない。しかしこの件について Sullivan はそれの是非を判断するような十分な根拠を与えてくれない。