2021年10月30日土曜日

解離における他者性 29

 以下はBについてこれまで書いたものの再掲載である。

 Bromberg Stern の考え方に歩調を合わせ、トラウマの問題は人の心にとって決定的な重要性を持ち、そこでは解離は極めて重要な役割を持つとした。彼によればトラウマは発達段階のどの段階でも常に生じている。彼は Harry Stack Sullivan の教えに大きな影響を受けつつ次のように言う。「解離は極めて共存不可能な感情や知覚が同じ関係の中で認知的に処理されなくてはならない時に生じる。」(Bromberg, 1994, p. 520).

 Bromberg が明言しているのは、葛藤という概念は神経症的な人にとっては重要だが、解離的な患者は、それを持つことがないことが問題なのだということだ。しかし彼は解離が抑圧のないところで起きるとは考えていない。彼によれば、トラウマにより、Sullivanの言う「ノット・ミー not me 」の部分が大きくなり、「安全であっても安全であり過ぎないような環境」(Bromberg, 2012, p. 17),において、「ノット・ミー」の部分はシステムに統合されるというのだ。
 Brombergの業績は、エナクトメントを解離の文脈に持ち込んだことであり、それにより精神分析的な分野における解離の理解の幅が広がった。エナクトメントを通して、解離されたものは体験されて自己に統合される。治療関係において、治療者は患者によりエナクトされた部分を体験すると同時に、治療者により解離されてエナクトされたものは患者により体験される。このように基本的にブロンバーグは解離を対人関係的な現象であるととらえる(Bromberg, 1996)。しかしこの理論が依然として前提としているのは、解離されたものはその人の心の中のどこかに存在するということだ。解離された部分は「象徴化されていないその人の自己の部分」が投影のようなメカニズムにより他者に伝わるというのだ。別言するならば、ブロンバーグの解離の対人モデルは、やはりヴァンデアハートのタイプ1に属することになる。