2021年10月27日水曜日

解離における他者性 26

 現代的な精神分析理論における解離

  1980年代ごろから米国では解離に関する関心が再び高まったが、これらは主として精神分析のコミュニティの外部で議論されていたことであった。ただし精神分析においても盛んに解離を論じたのが、Donnel Stern Phillip Bromberg であった。この二人の理論については、かつて「解離新時代」でもその概略を紹介したが、本書でも他者性ないしはvan der Hart による分類という視点から見直したい。ここで問題となるのは、Stern や Bromberg が精神分析という土俵で解離を論じる際に、それを防衛としてではなく、タイプ2としてとらえているかという事である。結論から言えば、彼らの解離の理論は依然としてタイプ1.に留まっていると考えざるを得ない。しかしそれは彼らが精神分析家である以上はやむを得ないことかもしれない。
 Stern, Bromberg に特徴的なのは、彼らが曲がりなりにも解離という概念を用い、それについて論じているという事である。
 Stern は以下のように述べている。「解離はトラウマに関する文献で様々に概念化されているが、解離についての理論は人生における出来事が耐えがたい時の自己防衛のプロセスという概念をめぐって行われている (Stern, 2009, p. 653)。」彼の言うように、理論家によっていろいろな個人差はあるとしても、解離の理論は防衛モデルとして描かれるというのが全体の傾向であるのは確かであろう。

 さてここから両者の理論を簡単にまとめようと思っているのだが、実は Donnel Stern と Phillip Bromberg の解離の理論を、私は本当はわかっていないように思う。ここでそれを深く反省して、少し腰を据えて読んでみようと思う。ネタとなる論文は以下のものである。

Stern, D.B. 2009. Dissociation and Unformulated Experience: A Psychoanalytic Model of Mind. (In) P. F. Dell & J. A. O'Neil (Eds.) Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond (pp.653-663). Routledge/Taylor & Francis Group.
Bromberg, P. Multiple self-states, the Relational Mind, and Dissociation: A Paychoanalytic Perspective.pp.
(In) P. F. Dell & J. A. O'Neil (Eds.) Dissociation and the dissociative disorders: DSM-V and beyond (pp.637-662). Routledge/Taylor & Francis Group.
 両論文とも、解離に特化したテーマで書かれた論文だ。
 Donnel Stern (以下S)は自分の立場は自衛のためのプロセスとして理解されているが、その立場を自分は守るものの、それを拡張したいというのだ。彼のこのアイデアは一方では精神分析の、他方では哲学的な考えに基づくものである、としてその哲学者としては、Fingarette, Gadamer, W.James, Merleau-Ponty などを挙げる。
 Sはサリバニアンだけあって、フロイトとサリバンの対比を行っている。Sullivan は抑圧ではなく解離こそが第一の防衛操作であり、それは耐えかねる体験が再び襲ってくることに向けられるとした。(それはフロイトが考えたような内因性の原初的なファンタジーの突き上げに対する抑圧を第一の防衛操作と考えるのとは対極的である。)最初にSはフロイトの抑圧モデルについて批判している。そのモデルでは、意識内容は、欲動とそれに対する防衛という戦いの後にたまたま残ったもの、というニュアンスがあるという。ちょうど症状が妥協の産物として消極的な形で現れるのと同様、意識内容も同様の受け身的な記録 passive record であるというのだ。あんまり意味を持たないというわけか。