2021年10月24日日曜日

解離における他者性 23

  Ferenczi がそれまでの Freud を崇拝してそれに同一化するような姿勢から対立する姿勢を取るようになったかは、きわめて複雑な事情があったようである。そのプロセスは少し俯瞰的にみればかなり不思議な印象を与えるかもしれない。Ferenczi の離反は、1932年の国際精神分析学会での有名な「大人と子どもの間の言葉の混乱 ― やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)」の提示であり、その内容はその後に発表された同名の論文に明らかである。そしてその内容は実は Freud 1892年に「ヒステリーの病原性について」という論文にまとめたものとほぼ同等のものである。つまり Ferenczi 40年前に Freud が主張したことを改めて主張したことになる。ただしこれに対して Freud は激怒することになった。Freud にすればその論文の内容を自ら否定することで精神分析理論を確立したのであり、それを蒸し返すとは何事か、という気持ちがあったのであろう。そして予想された通りこれが発表された時の会場からの反応は非常に冷たいものであったという。しかしその内容がそれほど間違っていて、批難されるべきものだったのだろうか?以下に少しその内容を紹介するが、それは基本的には Breuer 40年前に言っていたであろう内容と考えてよい。

「大人と子どもの間の言葉の混乱 ― やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)」同p.143)という論文で Ferenczi は以下のように言っているのだ。

「精神分析のなかで分析家は、幼児的なものへの退行についてあれこれ語りますが、そのうちどれほどが正しいか自分自身はっきりとした確信があるわけではありません。人格の分裂ということを言いますが、その分裂の深さを十分見定めているようには思えません。私たち分析家は、強直性発作を起こしている患者に対してもいつもの教育的で冷静な態度で接しますが、そうして患者とつながる最後の糸を断ち切ってしまいます。患者はトランス状態のなかでまさしく本当の子どもなのです。

つまり子供の人格に代わったら、難しい解釈などはせずに、子供の人格に会いなさいということをフェレンチは言っているのだ。ところがこの論文は Freud との決定的な意見の対立を表す論文でもある。