精神分析的な心の理解について
ここで精神分析的な心の理解の基本について述べておきたい。あまりに常識的で、改めて申し上げるまでもないことだが、それは心が一つであるという事である。いわばモノサイキズム mono-psychismという事になる。もちろん心はいくつかの部分に分かれているように描かれ得る。それを
Freud は意識、前意識、無意識と呼んだり(局所論モデル)、超自我、自我、エスと呼んだり(構造論モデル)した。しかしそれらは全体として一つなのであり、「力動的な連続体」として捉えられるのである。だからこそ一見無意味な意識的な言動には無意識的な原因が見いだされることになる。これが
Freud が発見したと考えた心の仕組みの最大のものだったのである。そしてこのような
Freud の心の理解は、心がいくつにも明確に分かれているという解離の病理を扱う素地を提供することはできなかったのである。
解離における心の在り方が力動的でない例としては、交代人格の出現の仕方が挙げられる。それは多くの場合唐突であり、表れたときはすでに完成形に近い。ある患者さん(30代女性、性自認は男性)は、交代人格Bが最初に現れたときについて次のように回想する。
小学4年生の頃のある日、彼女はピンクのランドセルを背負って、転校生として現れました。それがBだったんです。
もちろん実在する転校生ではなかったが、それがありありと見えたという。そしてそのBが心に住まうようになったのだ。また別の患者さん(30代、女性)の交代人格は、覚えている最初の体験について語った。
最初に体験したことははっきり覚えています。中学校の屋上にいて、街全体を見渡していました。
このような人格の出現を、Freud
だったらどのように説明しただろうか。これは防衛本能のなせる業だとしたら、人格たちはどうしてここまで具体的なプロフィールを有し、しかも唐突に出現するのであろうか?
フロイトとブロイアーの考えの違いを追ってみると、そもそもフロイトはヒステリーの原因を一つに絞る上で、ブロイアーの類催眠—解離理論を捨てたという経緯があったことがわかる。フロイトは「自分自身はこの類催眠状態を見たことがない」とし、代わりに内的な因子であるリビドーを中心に据えた理論を選択した。しかしフロイトはこの多重人格という不可思議な現象のことを本当に忘れたわけではなかった。
実はフロイトはこんなことを1936年に書いている。「離人症の問題は私たちを途方もない状態、すなわち『二重意識』の問題へと誘う。これはより正確には『スプリット・パーソナリティ』と呼ばれる。しかしこれにまつわることはあまりにも不明で科学的にわかったことはほとんどないので、私はこれについては言及することは避けなくてはならない。」(Freud,
1936. p245) ところがフロイトはそうは言いながらも、この多重人格状態に関する仮説的な考えに触れていたのだ。1912年の「無意識についての覚書」の中でフロイトは多重人格について、いわば「振動仮説」とでもいうべき理論を示している。「意識の機能は二つの精神の複合体の間を振動し、それらは交互に意識的、無意識的になるのである」
(Freud, 1912,p.263)
。また1915の「無意識について」でもやはり同じような言い方をしている。「私たちは以下のようなもっととも適切な言い方が出来る。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。」(Freud,
1915, p.171).
ここで注目されるべきは、「ある一つの同じ意識 the
same consciousness」という言い方だ。同じ一つの意識がそれらのグループのどちらかに交互に向かうのである。つまり結局意識は一つであり続けるという事になる(Brook,1992)。