2021年10月21日木曜日

解離における他者性 20

 Freud 1889年にフランスの Hippolyte Bernheim を訪れてから、催眠ではなく自由連想にシフトし始めていたのだ。その意味で「ヒステリー研究」は Freud Breuer に生じていた隔たりを浮き彫りにする形となった。

 Freud Breuer, Janet は、ヒステリーの理解について異なった考えを持っていたが、それを簡潔に言えばこうなる。

p  Breuer, Janet:トラウマ時に解離(意識のスプリッティング)が生じる。

p  Freud : 私はそもそも解離(類催眠)状態に出会ったことがない。(結局は防衛が起きているのだ。)

Janet の考えた解離

他方 Janet は解離をどのように理解したのか。Freud と違い Janet は理論よりも事実を重んじ、それを正確に記載することを第一に考えた臨床家であった。彼は壮大な理論を打ち立てたり、学派を形成したりという事もなかったのである。しかもFreud Janet はお互いに批判し、敬遠し合い、またヒステリーの治療に関して自分が第一人者であるという姿勢を崩さなかった。
 一つ大切なことは Janet は解離を防衛とは考えなかったところである。Janet はフランスのルアーブル病院で1883年から6年にわたって19人のヒステリー患者について研究し、そのうちの3人のDIDの患者について詳述したものが「心的自動症 L’automatisme psychologique」として1889年に発表された。彼は解離は意識野が狭窄し、刺激が第二の意識 、ないしは下意識 subconscious の方に入り込んでしまうとした(Dell, 732)。
 Janet の関心は最初から解離に向かったわけではない。彼は最初は人格のスプリッティングは催眠に伴うものという考えを持っていたが、1887年の「体系化された麻痺と心的現象の解離 Systematized anesthesia and the dissociation of psychological phenomena」(Revue Philosophique)の論文で解離という現象と催眠とは独立して理解し、「解離の法則」として提出した。
 第一の法則は催眠状態に置いて起きているのは無意識ではなく、いわば第二の意識であるとした。そして第二の法則としては、(解離が生じる際にも)主たるパーソナリティの単一性は変わらない。そこから何もちぎれていかないし、分割もされない。解離の体験は常に、それが生じた瞬間から、第二のシステムに属する(Janet, 1887)  としたのだ。The unity of the primary personality remains unchanged; nothing breaks away, nothing is split off. Instead, dissociated experiences () were always, from the instant of their occurrence, assigned to, and associated with the second system within.   Pierre Janet

ちなみに私は解離が生じるときには突然心が割れるのだ、というオカルト的なことが本当に起きるのかと心配になる時、よくこのジャネの言葉を思い出す。それを読んでみよう。

「(解離が生じる際にも)主たるパーソナリティの単一性は変わらない。そこから何もちぎれていかないし、分割もされない。解離の体験は常に、それが生じた瞬間から、第二のシステムに属する。」
ジャネの本にあまり図は出て来ないのですが、この図(省略)は有名で、解離した心的内容がPという心の集団の外側に描かれている。
 この様な見方は「力動的」なFreud の味方とは明らかに違う。これについてFreud はこう述べる。
 私達の意見とJanet のそれとの意見がここに見える。私たちは精神的なスプㇼッティングを、精神装置が生来持つ統合不能性 innate incapacity for synthesis によるものとは考えない。私たちはそれを力動的に考える。つまり対立する心的な力の間の葛藤であり、二つの精神的なグループが能動的に争う事の結果と捉える(Freud, 1910, 25-26)。