2021年10月19日火曜日

解離における他者性 18

 共通して持たれていた「意識のスプリッティング」という考え方

ポリサイキズムとして関心を持たれていた心の在り方が、どうして解離をめぐる二つの方向性を生み出したのであろうか? その点を理解する上での一つのキーワードがある。それがスプリッティング、ないし意識のスプリッティングという考え方である。通常は一つと考えられている私の心は、実は二つ(あるいはそれ以上)に分かれているのではないか、という議論は、100年前のあらゆる精神医学者が関心を持ち、また独自に論じたと言っていい。ポリサイキズムという考え方の最も基本的なものが、このスプリッティングの考え方である。この概念の及ぶ範囲は計り知れない。解離におけるスプリッティングの問題以外にも、精神分析で一般に用いられるスプリッティングの概念、schizophrenia (統合失調症、昔の精神分裂病)という概念、英国学派のスキゾイドの概念、RD Raing の「引き裂かれた自己 Divided Self」、Winnicott の真の自己と偽りの自己の概念、Kohut の水平分裂と垂直分裂概念・・・・。心が分裂、スプリッティングするという理論はこれほど数多く提唱されてきたのである。そしてこの概念は先述の通り、Freud にも Janet にも引き継がれていた。ところがFreud Janet では解離に関して全く別の考えを持っていたのである。なぜそんなことが起きたのだろうか。
 考えてみると、これは由々しき問題である。1895 年の「ヒステリー研究」における Sigmund Freud Joseph Breuer も、統合失調症 schizophrenia を説いた Eugene Bleuler も、そして Pierre Janet もがそれぞれ異なる意味で「意識のスプリッティング」を主張していたのだ。つまり解離(Breuer, Janet)と神経症や倒錯(Freud)と統合失調症(Bleuler)という全く異なった病態が、同じスプリッティングという言葉で説明されていたのである。
 この問題について、O’Neil という学者が、そもそもの問題は、スプリッティングという概念があいまいだったからこのような問題が生じたのだという説を提出している。

John O’Neil (2009)によれば、それは division (分裂、分岐、分岐すること) multiplication (増殖すること)の両方を意味していた。

Splitting という語の持つ両義性(O‘Neil)

O‘Neilの主張を分かりやすく図にしてみた。これを見ればわかるとおり、スプリッティングには二種類の意味があることになる。左は分裂ないし分岐、右は増殖である。左側の図では二つの部分が一つながりであることがお分かりだろう。そして右側の図では二つははっきり分かれていて、数が増えることを意味する。解離において「意識のスプリッティングが生じている」とひとことで言っても、多くの人は、両者の区別を曖昧にしていたのである。