2021年10月18日月曜日

解離における他者性 17

 交代人格を一人の人間として認めないという歴史

ここで解離性の交代人格を独立した他者としては認めないという傾向について、その由来を考えてみよう。結論から言えば、それはフロイトに始まると言っていい。極端な言い方をすれば、過去一世紀以上にわたる精神医学の歴史では、フロイトに始める精神分析の伝統は、基本的には交代人格を一つの心としては認めないという立場に立ち、そこには特にこだわらず、むしろ心の幾つかの共存の可能性を含めて受け入れていくという、精神分析以外の立場とに分かれるのである。私はそのプロセスを少し丁寧にたどってみたいが、ここでどちらの味方かに加担するつもりはない。一人の人間が複数の心を持つことは、私たちにとっては直感的に受け入れがたいことである。そして論理的な思考を重んじたフロイトの考え方はその意味では理解可能である。しかし他方ではDIDを有する人々の体験を通じて、私たちはそれが実際に存在していることを知っている。それをどのように受け入れ、折り合いをつけて行くかが精神医学の一つの大きなテーマとして引き継がれてきているという事情がある。そこで一つ問題意識として持つことができるのは、フロイトがどの様にして多重人格を認めることを回避したかという事を探ることが、現在多くの人々が陥っている解離否認症候群を理解する一つの指針になるのではないかという事である。
 
そもそも精神分析を含む精神力動学が始まった19世紀には、様々な理論が存在し、そこには「ポリサイキズム polypsychism」、すなわち一人の人間に複数の人格が存在するという理論もありえたのである(Ellenberger,1972)。Duran de Gros という人がこの言葉を考案したことになっているが、そのアイデアはしかし奇妙なものである。Ellenberger の記述を借りれば、「人の脳はいくつかの解剖学的な部位に分かれ、それが総合的な、主たる自我  general ego, Ego-in-Chief に従属するものの、それぞれが自身の意識を持ち、知覚し、独自の記憶を有し、複雑な心的な課題を遂行する」という考えである。これは考えてみれば奇妙なことで、それぞれの意識を持ち、かつ総合的な自我に従属するという事はなかなか想像できないことである。例えば意識 A a という意見を持ち、B b という意見を持ち、C c という意見を持つとする。そしてそれらが皆 G という総合意識に従属するという事になるが、ではこの G A, B, C をつかさどるそれぞれの部位の全体を包含するのだろうか?そこらへんは不明である。そして催眠ではこの G がどこかに行ってしまい、A, B, C が前面に出るというのがこの説の特徴であるが、これが一般に受け入れられていたという。
 さて重要なのは、このポリサイキズムが Janet Freud に引き継がれたとされることである。そしてJanet はそれを意識と下意識 subconscious とし、Freud はそれを意識、無意識のモデルに仕立てていった。