2021年9月22日水曜日

それでいいのか・・・・打ち切りのお知らせ

 本当に、これでいいのか・・・

  半ば予想していたことが起きた。この「これでいいのか、アメリカ人」(仮題)は、出版社から「これでは本にするのはちょっとキビしい」とのことで出版の計画はボツになった。ということで昨日まででお終いである。
 ボツになった経緯は9月19日のこのブログで予想していた内容そのものである。編集者がこれまでの20回のブログを読んだうえでそのような結論に至ったということである。(というかこちらからお伺いして、そのような返事であった。)この出版計画は編集者が計画を立てて、編集会議で承認されたもの、と聞いていた。あとは私が書くだけ、という体制であった。ふつうはこのまま進行し、よほどひどい内容でもない限りは出版されるのであろう。ただ書いている私の方で、「このテーマで意欲をもって書き続けることには自信がない」という気持ちがあり、私の方から「出版OKということですが、こんな内容(下書き段階だが)になりそうですが、本当にいいですか?」と尋ねたところ、「そうですね、キビしいですね」ということになった。(ところでどういう意味でキビしいかのコメントは聞いていない。)もっと私が気を入れて覚悟をもって、ブログに下書き段階を出さずに進めていたら日の目を見ていたのかもしれない。ある意味では私の気弱さのせいといってもいい。これまでの20日の努力(といっても大してしていないが)が、出版社の「やっぱりいりません」という一言でふいになる、というのも不条理の気がするものの、やはり起きるべくして起きることであった。私の力不足のせいである。
 「死」についての出版計画だったら私はここまで弱気ではなく、もっとモティベーションをもって書いていたであろう。「死」のテーマは私が追っているものでもあり、他の本や論文でも書いているものなのでつながりがある。それだけ思い入れのあるテーマなわけだ。
 20冊以上本を出していると、一回ごとに「やった、出版できた」という感激はない。(最初の12冊目はあった)。だから出版することそのものが目的化することはない。私にそれを書く用意(準備、モティベーション、その問題に関する基礎知識そのほか)があるかどうかの問題であり、今回の「これでいいのか、アメリカ人」にはそれがなかった。そこでボツになってもショックはない。それに書いているうちに自分でも面白いと感じていた部分もある。こんなことを書く人間はあまりいないかもしれないなあ、とも思えた。もちろんそれは錯覚だったのかもしれないが、だからと言って無駄だったとは思わない。しかしやはり一冊の黄色のカバーの新書として店頭に並ぶには値しなかったのだ、という自己愛の傷付きは結構ある。ただしあまり自分に期待はしていなかったので、ちょっと気が抜けた、という方が近い。
 ということで明日から再び、読みにくくて何を言っているのかわからない(時々英語の)文章に戻る。