「大文字の解離」概念に向けて
はじめに
近年解離性障害への関心が高まりを見せ、海外のみならずわが国でもこの障害に関する考察が多くみられるようになってきている。しかし様々な臨床所見についての数多くの理論化がなされる結果として、概念上のさらなる混乱が生じることが危惧される。精神分析の世界でも解離は昨今論じられることが多いが、スキゾイド現象やスプリッティング、抑圧などの防衛機制との違いなどについての明確な議論がいまだに待たれる。
筆者がこの論文で試みるのは ”Dissociation” とでも表記すべき「大文字の解離」という概念の提示である。これは必然的にdissociation、すなわちそれ以外の、いわば「小文字の解離」とでも表現すべきもの、ないしは現在の精神分析で一般的に用いられている概念との区分を意図したものである。この概念の趣旨は後に詳しく論じるが、その前段階として、フロイトをはじめとする精神分析に関わる先人たちの足跡をたどる必要がある。解離をめぐる様々な議論や誤解はやはり精神分析の淵源と深いかかわりがあったのだ。
精神分析の創始者であるシグムンド・フロイトはジョゼフ・ブロイアーやジャン‐マルタン・シャルコーの影響を受け、現在では解離性障害として理解されているヒステリー、すなわち現在でいう解離性障害への関心を深めた。しかしその後フロイトは解離現象の関心を失ったかの如く抑圧とリビドーの理論の方に向かっていった。その際にフロイトが放棄したのは、解離に関する理論的な素地だけではない。過酷でトラウマに満ちた人生を送った患者を理解し、治療的にかかわる機会も逸したのである(Howell)。そしてそれ以降精神分析においては解離を正面から扱わないという傾向は、現在にまで至っているのである。
ポリサイキズムとフロイトの「振動仮説」
そもそも精神分析を含む精神力動学が始まった19世紀には、様々な理論が存在し、そこには「ポリサイキズム polypsychism」、すなわち一人の人間に複数の人格が存在するという理論もありえたのである(Ellenberger,1972)。話はそのようなポリサイキズム的な考えを有していたブロイアーとその後輩フロイトとの関係にさかのぼる。ウィーン大学のエルンスト・ブリュッケ教授のもとで神経解剖学の修業をしていたフロイトは、1880年代になり、開業をするにあたりブロイアーから様々な影響を受けた(Aron, 1996)。
Aron, L. (1996). From Hypnotic Suggestion To Free Association: Freud As A Psychotherapist, Circa 1892–1893. Contemp. Psychoanal., 32:99‐114.