昔ウィッキーさんのワンポイント英語というのがあった。日本テレビの朝番組で、街頭で外人のウィッキーさんが日本人に英語で話しかける。マイクを持って近づいてくるウィッキーさんの避けようと、人は逃げ回るのである。(もちろんちゃんとインタビューに応じる人がいたから番組は成り立っていたのであろうが、私には逃げ回る日本人の姿だけがやけに思い出される。)私もウィッキーさんが近づいてきたら真っ先に逃げた方だが、同時に「なんて情けないんだろう!」と私自身に、というよりは日本人に憤慨していたのである。
さてこんな思い出話をしていると限られたページはあっという間に埋まってしまう。そこでそれから50年以上経た私が何を考えているのかについて述べたい。私は25歳で日本を飛び出すことを考えたということは述べた。そして結局私はパリで一年間、アメリカで17年間を過ごし、ガイジンの中にいた。そして私の中で「宇宙人」であった彼らのことを比較的よく知っているつもりである。そのうえで思うことは、私たち日本人は彼らガイジンをいまだに誤解しているらしいということだ。それが分かるのは、私も昔彼らガイジンを畏敬、ないしは好機の目で見ていた時期を通過しているからかもしれない。私の中にそのような見方は今でもちらほらするからだ。しかし17年の間に私が経験したのは、彼らが日本にいるときはあまり見せない姿を見る機会が多くあったからであろう。特に彼らが幼い子供のころに示す様子から思春期、青年期を経る姿を見る機会が多かったことが大きかった。前者は精神科医として、そして後者は子供がガイジンとの間で育つプロセスを見ながら体験したことである。その事情を本書である程度伝えることが出来たら望外である。