アメリカ人は薬に詳しい
アメリカ人の話に戻る。本書に何度も出てくることになるが、彼らは概して「いい加減」である。その彼らが薬の名前をすらすら言えるということはただ事ではない。そこでいろいろ考えた。
ひとは自分が何をどの目的で飲んでいるかを本来は気にするべきものである。おなかが空いたので駅の売店によったら、たまたま「紫色の丸い」食べ物がおいしそうだからと、買って口にするだろうか? その正体は何か、値段は?そして几帳面な人はカロリーや賞味期限も確認するかもしれない。だって毒が入っているかもしれないし、そもそも食べ物ではないかもしれないではないか? アメリカ人はそもそも人を信用していないところがある。あるいはお互いに警戒しているというべきだろうか? 少なくとも自分の身は自分で守るという気持ちは徹底している。だから薬も何をどの目的で飲むのか、ということについては敏感になるのだ。
これが「紫のまるい薬」の正体だ |
ちなみにまた余談である。私は少なくとも米国にいる間は薬の形状や色に詳しかった。今でもはっきり覚えているが、たとえば抗うつ剤のジェイゾロフト(アメリカではただのZoloft であった)は、25ミリが薄緑の長楕円形、50ミリがすこし大き目同じ形の水色、100ミリがさらに大きめの黄色のタブレットだった。抗うつ剤でジェイゾロフトと同じくらい人気のパキシルなら10ミリは小さなフットボール型、20ミリはピンク、30ミリは青、40ミリは黄色である。このように見た目もカラフルで、飲む人が何を飲んでいるかもよくわかるようになっている。そしてこれらは「試供品」として薬会社のセールスマンがどっさり医師のもとに置いていくのだ。今は規制されているかもしれないが、当時の医師のオフィスの机の中は、各社がしのぎを削って配りまくる試供品でぎっしりだったはずである。医師の側はそれぞれの形状をしっかり目に刻みつつ、この薬を処分しないとオフィスの棚があふれかえってしまう、と考えざるを得ない。そして「処分」の方法は、患者さんにタダで配るのである。
米国は保険に加入できていない人たちもたくさんいる。私が一時勤めていた公立の「精神衛生センター」などは、保険を持たずに、薬を実費で買えない人が普通であった。そこで彼らにタダで持って行ってもらうのである。例えばゾロフトという薬が新発売になると、薬屋さんがこぞって試供品を持ってくる。すると「ゾロフトか、色もきれいだし、効くかもしれないし…」などと言う気持ちも働いて、また患者さんにタダでもらっていただく代わりに、新薬の効き目を教えてもらう、ということになる。