2021年9月16日木曜日

それでいいのか、アメリカ人 17

 英語はタメ語の世界

  アメリカ人は年齢を問題にしない。これは本当に拍子抜けするくらいである。もちろん何かのついでに、「ところであなたいくつ?」となることはある。人はみな違う背景を持ち、違う外見をし、違う主張をする。もちろん歳は違うだろうがそれを知りたいなら、どうして相手の出身地や宗教や趣味を知ろうとしないか、ということにもなる。でもそんなことを一つ一つ明らかにしていかないとその人と付き合えないということもないだろう。
 このように考えると日本人の間柄で相手の年齢を真っ先に知ろうとする理由は明らかだ。それはどのように話しかけたらいいかを知る必要があるからだ。要するに敬語か、タメ語か、という話である。相手が年上なら敬語調の話し方になる。年上を相手に「あー、そうなの?」とはならない。どんなに親しくても「あー、そうなんすね?」とぎりぎり敬語を使う。
 つい最近のことだが物騒な事件が起きた(20218)。ある男性が知人の男性に振り返りざま硫酸をかけたというトンデモない事件だ。ネットでは「硫酸男」というだけですぐ出てくるが、大学生のころ、サークル活動で一学年下だった相手から敬語ではなくタメ語で話されたことがトラブルの発端であったという。もちろんこの事件では、「相手からバカにされていた」という恨みはほかの原因も絡んでいたのかもしれないが、いまさらながら日本での先輩後輩の区別の重要さを考えさせられる。
 さて英語の世界での話である。英語はタメ語の世界だ。初対面の人と話し始めるとき、敬語を用いることも謙譲語を用いることも考える必要がない。そもそもそのような違いはないし、私はI, あなたはyou 以外の何物でもない。相手の出身地を訊くのに、”Where are you from?” 以外の言い方などあろうか? ところが日本語では「どちらのご出身ですか?」などから始めるであろうし、相手が年上ならこの「~ですか?」は半永久的に続く。(もちろん「~っすか?」となっても結局続いていくところが聞いていて面白い。)
 このように考えるとアメリカ人の単純さは、敬語や謙譲語や丁寧語を考えなくていいという要素が極めて大きいということに思い知らされる。少なくとも言葉のレベルでは障害物がパッと取り払われて、平等になってしまうのだ。英語は素晴らしいequalizer (平衡装置)ということになる。留学などで英語の世界に入って体験する妙な気楽さは確実にここからきていると思う。
 これを書いていて思い出すのは、私の先輩にあたるある精神科医A先生のことだ。私と留学の時期が重なっていたのだが、一家そろってのアメリカ生活で、二人の小学校低学年の双子ちゃんの兄弟も現地校に入った。すると英語で四苦八苦をしている両親をしり目に、3か月ほどすると二人は家でも英語でペラペラと話すようになる。子供の語学力はすごいものだ。するとある日息子の一人がA先生に向かって「ヘイ、ユー !」と話しかけてきて、先生は激怒したという。「何を言い出すかと思った」と先生はおっしゃっていたが、教育熱心で、親への態度にことさら敏感だった彼の当惑を思うと少しおかしくなってしまう。
 タメ語であり、年齢にこだわらない英語の性質は、例えばbrother ,sister という言い方にも表れる。要するに、兄、弟、姉、妹があいまいなのだ。そしてこれは同様の区別をしない欧米語一般に言えることにもなろう。もちろんolder brother とか younger sister などといって区別することも多いが、いちいち面倒くさい。そのうちにこの兄、弟という表現なしにbrother, sister と呼ぶという習慣は、結局兄弟でさえ、タメ、平等ということを意味することに気が付く。「お兄ちゃんでしょ。弟に譲りなさい」的な言い方は、ないわけではないが、日本語ほどではない。歳は違ってもやはり同様に自己主張するし、同様の責任を負うという雰囲気が英語にはある。
 というわけで英語の世界にしばらくいると、相手の年齢はかなりあいまいでわかりにくくなってくる。相手が年上だから言うことを聞いておこう、逆らわないでおこう、などという考えが削がれていく。そしてどれだけ自分を持っているのか、どのような性格で何を大事にしている人か、というところに直接向かっていく。これってすごくないだろうか?アメリカは実力社会であるが、そこでは「歳など全く関係なし」という了解は重要なのだ。そして当然ながら「性別も全く関係なし」ということと同じだ。そう、タメ語の世界における英語は、差別防止のための装置としても働いているというわけである。
 それでいいのだ、アメリカ人!