2021年8月9日月曜日

他者性とよそ者的自己 alien self

 ここでメンタライゼーションの議論に出てくる、いわゆる「よそ者的自己 alien self」と解離性の他者との関係について述べる。育児において不正確なミラーリングがなされた場合、「自己の部分でありながら、自己に属しているとは思われないものとして経験される」(Fonagy, Bateman2004)例えば子供が「寂しいな、甘えたいな」という思いを浮かべるが、母親がそれに対するミラーリングの失敗をし続けるとしよう。すると「なんでお前は私をそうやって疲れさせるの!」という言葉が返ってくる。ここで「本当にお前はダメな奴だな」と二人称で呼びかけてくるのが特徴。「俺はダメな奴だ」、ではないのだ。なぜなら後者だといわゆる超自我に近くなるからだ。

  これと解離との違いについて、池田暁史氏は書いている。「よそ者的自己と解離された自己は、外から見たら自分であるにもかかわらずコントロールできないという共通点がある。」
 ただしよそ者的自己は自分の心の中に異物として存在するのに対して、解離された自己は、普段の自分の心の外に「自分でない部分」が存在している。(池田、メンタライゼーションを学ぼう 2020年、p95