2021年8月10日火曜日

他者性の問題 6

 「私たち分析家は、強直性発作を起こしている患者に冷静な程度で接しますが、そうして患者とつながる最後の糸を断ち切ってしまいます。患者は、トランス状態に入ってしまった患者はまさしく本当に子供なのです。だから知的な説明にはもはや反応しません。反応できるとすれば母親的な親愛の情が向けられたときだけで、これがなければ絶望的な苦しみの中に一人捨てられたと感じます。」(シャンドール・フェレンチ 1933年)
 近年解離性障害に関する関心が高まりを見せ、内外でもこの障害に関する考察が多くみられるようになってきている。それにつれて解離症状が様々な形を取り、またさまざまな理論化がなされ、概念上の混乱が生じていることが危惧される。
 筆者がこの論文で試みるのはDissociation「大文字の解離」という概念の提示であるが、これは必然的にdissociation小文字の解離との区分を意図したものである。これが混乱する乖離概念をさらに混乱したものにすることがないことを望む。
 解離をいかに理解するべきかを論じるためには、やはり精神分析学の歴史をたどる必要がある。たしかにフロイトは解離を軽視し、あまり論じなかったという過去がある。しかしそれにはそれで理由があったのだ。解離がいかに、そしてなぜ無視されたかを知ることは、解離をどのように理解すべきかという議論を逆に浮き彫りにしてくれるのである。
 精神分析と解離とはとても複雑な関係にあった。そもそもこの話はフロイトとブロイアーとの関係にさかのぼる。ヒステリー研究を執筆している時はすでに、フロイトはブロイアーの「類催眠状態」(これは事実上解離状態ということになるが)に不満を感じていたが、この概念を彼は最初のうちは信じていたのだった。
 歴史的にさかのぼれば、ブロイアーはフロイトの先輩であり、彼にいろいろな精神医学的な技法を勧め、そこには催眠療法も入っていたのである。いわばフロイトはブロイアーの手ほどきを受けて、彼が語るアンナOの不思議な症状についても大きな興味を持って聞いたのである。フロイトがパリでシャルコーの催眠の技術を学んだ時は、フロイトは魅了されたはずなのだ。フロイトはだからこの不思議な現象についてはブロイアーの教えに従ったわけである。ブロイアーは、これは一種の催眠状態に近いものだと説明した。それが類催眠状態と呼ばれるものだった。ところが実に不思議なことに、フロイトは「そんなものは自分は見たことがない」というようになったのだ。
 そこからフロイトは抑圧とリビドーの理論の方に向かっていった。その後にフロイトが放棄したのは、彼が言うところの誘惑論だけではない。過酷でトラウマに満ちた人生を送った患者さんを扱う機会も放棄したのである(Howell)。