2021年6月23日水曜日

パーソナルセラピー 2

  マッサージのこの比喩からわかることは、その上級のマッサージ師は教師であるとともに反面教師でもありうるという事だ。ああ、こうやってもんでもらうといいんだ、という体験もあるし、「それちょっと違うんじゃないかな?」という事にもなるだろう。おそらく「こうやってもんでもらえばいいんだ」という体験が最初は多いからこそこの体験には意味がある。でもマッサージを自分自身でも施術するようになる過程で、ここはこうやって欲しい、とかそこは触って欲しくない、という事もわかるであろうし、ああ、先生は案外迷いながら、手探りでマッサージを行っているんだな、という事もわかるであろう。
 ところで分析を受け始めた私たちがまず体験するのは、分析家の対応の仕方はほかのあらゆる場面での会話と質が異なるということである。おそらく分析家はかなり受け身的で、自分の個人的な情報や考えを語ろうとしないであろう。普通ならいわばギブアンドテイクで進んでいく会話が、精神分析的な治療では進んでいかない。アナリザンドはそのことを前もって精神分析に関して持っていた知識からある程度予想していたかもしれない。「これが分析的な態度というものなんだな」と思うだろうし、実は自分が治療者としての経験を持っている人の中には、「この姿勢は私が治療者としてクライエントと関わる際のものにおそらく似ているだろう。」と考える人もいるだろう。自分は力動的な治療者としての経験を久しく持っていながら、自分自身のセラピーを経験していないという人は意外に多いものである。ただしそのことと、自分がそのような受け身的な治療者との間で体験することは全く異なるはずである。そして至極当然のように、次のように自分に問いかけるはずだ。

「分析家は私とどうして普通に話せないのだろうか?」「どうして分析家は質問に答えてくれないのだろうか?」もちろんあなたはいろいろ分析家に問いかけたり、もう少し普通に反応してくれるように頼むかもしれない。しかしおそらくほとんどの場合その成果は不十分であり、そのような疑問に行きつくだろう。

 ある実際に起こりうる状況を想定してみよう。「私は妻との関係についていつも話していますが、先生ご自身は結婚なさっているんですか?」そしてそれに対して何ら明確な返事をもらえなかったとする。あなたはおそらく「私の分析家がこの問いに返事をしてくれないのはどうしてだろう?」
 この問いをいかに大事にし、それをいかにまっすぐに追求していくところから、パーソナルセラピーの真のかかわりが始まると言っていい。もちろん「分析的な治療者は患者の質問に軽々しく答えない」という常識をあなたは知っていたかもしれない。でもそれは自分がクライエントになった際には全く別の意味を持つ。治療者の「~すべきでない」は今やクライエントの椅子に座っているあなたには全く関係のないことである。問題は自分が問いかけたい根拠があり問いかけ、それに答えがもらえないとしたらなぜそうなるのかについて問いただすことである。これは治療者にとっては挑戦的な態度と受けとらえかねない。しかしある意味では治療とはそのようなものである。精神分析では、「患者は○○してはならない」という規定を設けていない。患者はクライエントとして、というよりは社会人としての分別をわきまえているであろうが、そしてその過程であなたの分析家の度量の広さや、逆に限界についても知ることになる。もちろんスタイルについてもわかるはずだ。
 とはいえ私は分析家が即座にそれに対して回答をするかどうかということで分析家の力を知ることが出来る、というたぐいのことを言いたいのではない。治療者が患者の問いかけにいかに反応するかは、実は正解などなく、治療者自身が本当はその回答を得るために格闘しなくてはならない問題である。分析家がそれをあなたとの問いかけを通して行う姿勢を見せるとしたら、あなたはとても幸運だろう。
この分析家との対決についてはもう少し後に述べたい。