2021年6月22日火曜日

パーソナルセラピー 1

  パーソナルセラピーを通して関係精神分析を学ぶというテーマであるが、これは実はかなり混み入ったプロセスである。いわば教育分析を通して学ぶという事であり、分析の世界では昔から行われていることであるが、このプロセスで起きうることは実はとても複雑である。

  従来教育分析には、教育する、という意味と治療するという意味が両方含まれていた。実際にお手本を示してもらえるという意味では実に分かりやすく効率の良い学び方と言える。あるいは究極の学び方と言ってもいい。そしてなぜか、教育分析を受けた被分析者はその分析家の学派に属するのが当たり前、という習慣があるのだ。例えばクラインに分析を受けたシーガルやリビエールは当然クライン派になるし、フェレンチに教育分析を受けたバリントはフェレンチアンであるし、ウィニコットに受けたマスッド・カーンはウィニコッチアンと目される。しかしこれがどうしてあたり前の様にそうなっているのかは一度考えてみる必要がある。
ひとつ比喩を思い浮かべよう。貴方がマッサージ師になりたいとする。すると教育マッサージというのを受けなくてはならないという。それは上級のマッサージ師にマッサージをしてもらいながら学んでいくというシステムだという。自分の体のケアをしてもらいながら、ケアの仕方を学ぶ。しかもマッサージをする人は、される側の体験を持つべきである、という理屈もよく分かる。さてこの教育マッサージはうまく行くだろうか?