2021年5月22日土曜日

どのように伝えるか? 解離性障害 8

解離性障害とはどのようなものか?についての説明
 精神科医師は患者に対する心理教育を行う際に、たとえ話や比喩を用いることが多い。例えばうつ病であれば「ストレスによる心の疲れ」とか「過労による体調不良」、「精神的な疲労」などの表現が、漠然とうつ病の姿を描き出す。統合失調症やその他の精神病状態の場合は、「現実と空想の区別がつかなくなった状態」や「自分の妄想の世界にとらわれてしまった状態」などと表現できるだろう。また神経症一般については、「気の病」「神経質」「心身症」などの表現がなされ、多くの人が自分の日常心性をそれに重ねることが多い。「自律神経の乱れ」などの表現はこれらの精神疾患を曖昧に言い表す場合に用いられることが多い。
 ところが解離性障害の場合、そのように一般的な言葉でその病気を伝えることはなかなか難しい。臨床的な文脈でしばしば用いられる「知覚や思考や行動やアイデンティティの統合が失われた状態」(ICD-11, DSM-5)という説明も、具体性に乏しく、今ひとつ説得力に欠けるようにも思える。それに加えてDIDのように複数の人格が一人の中に存在するという現象は、それ自体が常識を超えていて荒唐無稽に聞こえてしまう恐れがある。そのことが解離性障害を理解し、説明教育を行う上での大きな問題となりうる。
 私自身は解離を脳における神経伝達路のレベルでの異常と考えている。上に示した神経症や精神病や気分障害には比較的緩やかに始まり、その回復にも時間を要するという特徴がある。それは全体として炎症反応になぞらえることが出来るであろう。ところが神経伝達上の問題は、癲癇発作等に見られるように急激に発症し、回復するという特徴がある。そのために心を脳の神経ネットワークとして理解してもらうことが一番の近道であると信じる。
「解離性障害とは何かを一言で言い表すのは難しいのですが、次のように考えてもらえば比較的わかりやすいのではないかと思います。心とは一種のネットワークだと考えてください。このネットワークは神経細胞と神経線維からなるので、これを神経ネットワークと言います。神経細胞は結び目、神経線維はそれらを幾重にも結ぶ電線のようなものだと想像してください。私たちが何かを覚えるときは、あるネットワーク上のつながりのパターンが出来上がることですし、体からの感覚や体を動かす運動は、そのネットワークが皮膚や筋肉に繋がっていてそことの信号のやり取りをすることです。私たちは普通意志の力でそのネットワークの働きをコントロールしていますが、時々混線が起きて、筋肉に信号がいかなくなったり、記憶のネットワークの内容を取り出せないという不思議なことが起きます。すると心の機能や体の機能がバラバラになってしまい、いろいろ不思議な症状が起きます。急に物を思い出せなかったり、急に声が出なくなったり、という事はそうしておきます。どうしてこの混線が起きるかは詳しいことはわかっていません。」
 ただしこれではDIDの説明にならないので、DIDに関しては次のように説明します。「さてDIDについては少し込み入ったことが起きます。私たちの心、というのも実は一つの大きな神経ネットワークから生まれてくるものなのです。ところが人間の脳にはいくつかの神経ネットワークが同時に出来上がるという不思議なことが起きます。すると一人の頭の中にいくつかの心が同時に存在するという事が起きます。でもお互いに別人のように感じるのです。なぜならそれは複数の脳が共存している状態、つまりひとつの家に同居している状態にかなり近いからです。そしてその複数の人が一つの体、つまり一組の耳、目、口を共有するので、混乱してしまうという事が起きるのです。」
 ここまで説明した時にパソコンにある程度詳しい人なら次のように伝えてもいいかもしれません。「実は一つの人格はパソコンやケータイに入っている一つのアプリのようなものと考えてもいかも知れません。私たちはいくつかのアプリを同時に立ち上げることが出来ますね。ユーチューブなどで、いくつかの映像を同時に流してしまい、声が重なったりすることがあるでしょう。DIDではそれと似たようなことが起きているのです。

何が原因なのか?
 身体疾患や精神疾患の際に、患者や家族はしばしばその「原因」を問う。よく私たちは「どういう育て方をしたらこうなるのか?」「育て方を失敗した」などという表現を用いることからも明らかである。そしてそれは解離性障害についても同様である。また両親は自分たちから何かの要因が遺伝したのではないか、と思うことも多い。さらに最近では様々な外傷的な出来事、例えば家庭での虐待や学校でのいじめなどに原因を探ることも多い。また患者当人が「自分がこうなったのは親のせいだ」という考えを持つことも多い。これらの原因はある場合には大いにあり得ることで、また別の場合には考慮する必要があまりないこともあり、応え方は非常に難しくなる。
 心理教育の立場からは、「何が原因なのか」という問いかけに対しては、以下のような一般的なものが適当と考える。
「一般的に言えば、子供が幼少時に体験したトラウマや深刻なストレス体験が、精神疾患にかかるリスクを押し上げています。それは精神疾患一般に言えることすし、解離性障害についても同じです。特に幼少時の深刻な性的身体的虐待を含めた幼少時のストレス体験が発症に深く関係しているようです。さらには生まれつき催眠にかかりやすい傾向の人たちがいて、その人たちは解離という心の働きを起こしやすいことが知られています。それに比べて子育ての仕方は、各家庭ごとに様々なバリエーションがありますが、それが精神疾患の発症に影響を与えるとしても間接的で偶発的な形でしかないと考えられます。」
「ただしここで一つ重要なことがあります。子供が小さいころに親からひどい育て方をされて、それを恨んでいたり、傷つけられたと感じている場合、親の側からは、実際の子育ての場面でトラウマ的なことが生じていなかったように思えても、子供にとってはトラウマになってしまう場合があります。そこでそれは不幸な出来事として受け入れざるを得ないこともあります。」そして次に付け加えたいのは、私が最近実感していることである。
「子育ての時期は、親は子供に対して絶対的な力を持っています。その親に叱られたり無視されたりすることは、実は子供にとって想像以上につらく、恐ろしい体験だったりします。もちろんそればかり考えていたら、親は子供を叱ったり、時にはほかのことに気を取られて子供の注意を払わなかったり、ということは一切してはならないことになってしまいかねません。もちろん親も普通の人間ですから、そのような機会を完全に避けることは無理でしょう。でも親の子供へのあらゆるかかわりが、絶大なインパクトを持ちかねないことを念頭に置くことは大切でしょう。」