2021年5月12日水曜日

どの様に伝えるか? 解離性障害 5 

最初からの書き直し、という感もあるが …。

 本論文では解離性障害の当事者に対して行う「実感と納得に向けた病気の説明」について論じるが、その背景には最近米国で論じられることの多い「Shared decision making (SDM) 一緒に決めていくこと」という概念がある。これはいわゆるインフォームドコンセント(説明をした上での同意、以下IC)の先を行く概念であり、ICよりさらに丁寧なバージョン、患者寄りのバージョンと考えてもいいかもしれない。
 ICにおいては医者は患者に対して「このお薬はこのような作用と副作用がありますが、それをご理解なさった上でよろしければこの書類にサインしてください。」と働きかける。それは確かにそれ以前にありがちだった「黙って私の出す薬を飲みなさい。」という医師の態度よりははるかにましだろう。しかしそれでも患者の立場からは次のような不満が聞かれる筈だ。「もっと分かりやすく、他にどのような薬があるのか、飲まなければどうなるかも説明して欲しい。」
 患者さんの側からすれば全くその通りなのである。ただ医師の立場からすれば、これはとても時間のかかることでもある。しかも薬Aを最初に出すときに説明をすればいいというわけではない。例えば薬をAからBに変えるにしてもBの副作用のリストアップをして、AからBに切り替えるときにどうするのか、Aを少しずつ量を減らして言って、いつからBの少量を初めて・・・・・。と説明するのには膨大な時間がいる。そしてそのための患者さん一人当たりの外来の時間を延ばす余裕は全くないのだ。いや、延ばそうと思えばできないことはない。しかし一日例えば30人の患者さんに費やす6時間は、それにより12時間になりかねない。しかも患者さんに費やす時間が倍になっても収益は少し増えるだけである。すれば出来ないことはない。一人の患者さんに使う時間を倍にすることはできるだろう。しかし日日の患者さんの数は変わらない。そう、DSMを行うためには、医師が扱う患者さんの量が制限されなくてはならない。

1. 解離性障害の診断を惑わす要素

まず説明をする医師の側に私の方から「説明」をさせていただきたいことがある。それは解離性障害を理解し説明することに対して、なぜ多くの臨床家が苦手意識を持つのかということの説明である。

解離性障害が含みうる症状が幅広いということ

解離性障害の分類は徐々に精緻化しているが、最新のICD-11の分類では、例えば従来の転換性障害の代わりに「解離性神経症状症 Dissociative neurological disorder という分類となったが、それはさらに以下の下位分類を持つ。

  • 視覚症状を伴うもの、
  • 聴覚症状を伴うもの、
  • めまいを伴うもの、
  • その他の感覚変容を伴うもの、
  • 非癲癇性の痙攣を伴うもの、
  • 発話障害を伴うもの、
  • 脱力または麻痺を伴うもの、
  • 歩行症状を伴うもの、
  • 運動症状(舞踏病、ミオクローヌス、振戦、ジストニア、顔面けいれん、パーキンソニズム、のうちのいずれか)を伴うもの、
  • 認知症状を伴うもの。

これらの細かい細分化は、解離症状が神経や運動に関するあらゆる症状を呈する可能性があることを表している。つまり解離性症状はまさにキメラのような症状を呈する可能性があり、それは精神科、あらゆる身体科の症状をカバーする。もちろんこのような精神疾患は他にない。そして大概の場合症状が現れた時点で神経内科や身体科を受診することとなり、そこで診断がつかずに最終的に精神科に送られることになり、最終的に解離性の病理が同定されるケースも多い。

解離性障害を専門に扱うべき精神科の領域においてさえも、この障害は十分に認識されてこなかった。現在私たちが解離性障害として理解している病態が古くから存在していたことは疑いない。しかしそれらがヒステリーの名と共に認知されていた時代は著しい偏見や誤解の対象とされてきた。

20世紀になり、統合失調症が大きく脚光を浴びるようになると、解離性障害はその存在自体が過小評価されたり、精神病の一種と混同されたりするようになった。昨今の「解離ブーム」により解離性障害に新たに光が当てられ始めているが、その診断はしばしば不正確に下され、統合失調症などの精神病と誤診されることも少なくない。

解離性の身体症状の中でも痙攣はしばしば精神科医と神経内科医の両方にとって混乱のもととなっている。これが従来偽性癲癇、ないしはNon-epileptic seizure (NES, 非癲癇性痙攣)と呼ばれる病態であるが、難しいのはこの偽性癲癇の患者の50%は真正の癲癇を伴うという報告もある(Mohmad, et al. 2010)。すなわち真性癲癇と偽性癲癇は共存する(!!)という事にもなるのだ。