はじめに
この論文の目的は、日本型の教育モデルの中でも特に母子関係におけるモデルを提供することである。
最初にこの試みの持つ意義を述べたい。この論文は教育学の文脈の中で書かれるが、実は母子関係を教育学の文脈から論じることにはいくつかの困難さがある。一つには母子関係は教育学の見地からだけでなく、心理学的、精神医学的、社会学的な立場からも論じられている問題である。それらの議論や知見を援用しつつ教育学的な見地から論じることは、議論の焦点付けを難しくする可能性がある。さらに筆者の専門とする立場が心理学、精神医学、精神分析学に偏っており、社会学的な立場からの視点を論じるだけの学問的な背景に乏しいことも、この論文に独特のバイアスを与えることになりかねない。
そこで本論文は主として精神分析学的な考察をベースにして心理社会学的な文献を渉猟しつつ行われることを最初にお断りしておきたい。筆者が主として多く言及するのは土居の甘え理論であるが、この理論は幸い国際的な認知度が高く、また土居自身が精神科医であり精神分析家であったこともあり、主として精神分析的な土壌で論じられたため、筆者にとってなじみが深く論じやすいテーマだからである。
またこの論文では最終的に母子関係の二つのプロトタイプを提案することになるが、それは大雑把に言えば欧米型と日本型という形になる。しかし私はこれらのどちらかに優劣をつける目的も、またどちらかを二者択一的に用いるという目的も持たない。それは物事を理解する上での一つの区分という意味合い以上を持たないことを最初にお断りしておきたい。
本研究のバックグラウンドとしての個人的な体験
このテーマのモチーフを示すうえで、筆者の個人的な異文化体験について述べることにしたい。から出発することをお許しいただきたい。私と妻が子育てを行ったのはアメリカの中央平原にある、カンサス州トピーカという田舎町だった。この町はメニンガークリニックという精神分析の世界では比較的有名な病院があるだけで、それ以外はこれと言って特徴のない小さな田舎町であった。大きな都市なら日本人のコミュニティもできやすく、また日本語での教育を行う施設も整っているであろうが、この街にはそのような施設はなかった。ただし日本からの精神科医や心理士の数家族が精神分析を学ぶために2,3年の期間そこに滞在し、それらを中心として小さな集団が維持されていたのである。
そのような米国暮らしの中で生まれた我が家の一人息子は、幼稚園から小学校に進む間、常にクラスや学年で唯一の日本人という状況が続いた。そこで私と妻は子供の成育環境を通して異文化体験を豊富に持つことになった。米国では友達同士がお互いの部屋に泊まりに行き、その送り迎えを親がすべて車で行い、お互いの家に滞在していた時の様子を簡単に報告し合うという事が頻繁に行われた。こうして子供を通して米国の複数の家族との付き合いが深まることとなった。そして日本では常識的と思われる私たちの子育てと、アメリカ人の中流家庭での子育てを、それこそ左右に並べて比べるようなことを十年以上行ったわけだ。そしてそこで私たちはとても顕著な形で両文化の違いを体験することとなった。
その中で私たちが一番文化の違いとして感じるのは、親と子供との密着度の違いであった。私たちはもちろん夜は一緒の寝室で親子三人、川の字で就寝した。それは私たちが幼少時に日本でそのようにして就寝していたからに他ならない。また私たち夫婦は息子をベビーシッターに預けて外出するという発想は持ちえなかった。これは平均的なアメリカの家庭ではベビーシッターがしばしば登場することを考えれば顕著な違いであった。もちろん私が息子を見ている間に妻が外出するということは当たり前にあったので、妻は息子から離れることに特に不安があったわけではないが、おそらくベビーシッターをあまり信用していなかったのだと思う。というより子供を預けて私たち夫婦が外出しなくてはならないような重要な出来事に遭遇しなかったのかもしれない。
ただしもちろん私たち夫婦の両親や親戚は遠く離れた日本にいたので、もし彼らが近くにいたら、子供を彼らに任せて夫婦で外出するということは起きていただろう。それに日本では幼い子供を保育園に預けて母親が仕事に出かけることは普通になってきている。ただしそれでも親が幼い子供から離れることへの抵抗という点でやはり私たちは日米の大きな違いを感じたのである。